No.4.1971.4.

新入生諸君への私の助言

図書館長  渡辺 幸生

 戦後の日本は欧米にも類をみない大学ブーム時代を迎えている。一昨年の大学紛争はその反省期に達したことを教えるものであろう。大学教育はエリート教育から大衆教育になったと云われ、さらにホワイトカラーのためからブルーカラーのためのものになったとも云われている。しかし大学教育が二十才前後の四年間の教育を担当し、完成教育である点に於て、その本質はかわっていないと思う。
 人の成長の段階に応じてどのような教育を施すかを考慮することは当然の理である。二十才前後の貴重な人生の四年間にどのような教育をうけ且つ自己を完成するかということを、大学生たるものは真剣に考えるべきであろう。この四年間の人生に於ける意義はいかなるものであろうか。二十才前後の人間の発達は広く知見を拡げようとすると共に、比較し分析し綜合しそして一つの全体像を作ろうとする知的欲求の著しい段階であり、人間として人格を形成する一応の完成期であると思う。いわば個性の確立に必要な栄養を吸収することに努めるのがこの年代の自然である。その栄養は大学が授ける講義その他の教育だけではない。学友会活動クラブ愛好会の活動の中にもたくさんある。然し大学教育は専門の知識技術と共にそれが吸収されるところに特質がある。人間の永い間の努力の積み重ねを後代に伝えることも教育の目的であり、古人の築いた人間像のよきものを知り、それを吸収しようという努力もそうである。
 そこでまず第一に諸君が大学での教育の方法と原理を理解しておくことが必要であると思う。大学教育は高等学校教育とその原理を異にすることを理解しなくてはならない。それは各人が積極的に大学の施す教育に主体性をもって当るという努力を要求する。与えられた知識の受身的暗記の方法から、自分で探究し見いだすという態度にかえなくてはならない。大学の講義は諸君を強制しない、出席を強制したり、こんな風に勉強せよという指導はしない。大学では教授は自ら求め得たものを体系的に論述するのであって、理論的形成の中に自分の方法と主張とを提示しようとしているのである。これを聴く学生諸君が、教科書は覚える対象でしかなかった慣習から脱却できないで、なおも大学の講義を暗記の対象とするならば、与えようとするものと受け取るものとが完全にくいちがって、そこに教育は行なわれていないことになる。これまで多くの諸君が具体的な知識に対してもった興味を、その知識に到達した過程と方法とに興味を向けるよう努めることが必要であろう。更に大きい体系のなかに於けるその知識の地位、そしてその体系の組立てということに注意を向けて行くならば、自然と姿勢をかえることになるであろう。それは広い意味で哲学的態度である。
 大学紛争は一般教育への不満がその一つの原因であると云われている。一般教育課目は現代科学の分化の著しい傾向に対して、先に述べた綜合への要求、全一なる人格の形成を求める年代の要求に応じる為のものである。それらの課目が暗記の対象となるだけのものであったならば、逆効果をもたらすであ



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