私は現在まで色々な辞書を愛用してきた。勿論いわゆる“コンサイス”型の英和辞典は中学入学時以来、座右から離したことがない。ところで数年前、自分が辞典を編纂する立場に立たされて今更ながらこのコンサイス辞典の優秀性に気づくようになった。
 良質の India paper にぎっしりと並び収録語数は優に5万をこえるから必然的に活字は小さく、普通の新聞用活字よりふた回り小さい7号活字を使っている。これは実用上の活字としては最小のものであって、これ以上小さいと虫眼鏡が必要となる。日本の学生に近視が多いのはこの型の辞書と関係があるとうがったことを言う人もあるが、この型のものとしてはその語数の豊富さに於て、まさに世界に例をみない日本独特の辞書であろう。
 たとえばアメリカの本屋でポケット版の辞書を買ってもわが国のコンサイス版よりだいぶ劣る。このコンサイスを1冊持っていれば専門語をある程度まで引くことが出来、便利重宝である。とはいえconcise“簡潔”というからには自ら限度があり、この点はイギリスの Oxford、アメリカの Standard といった代表的大辞典といえども例外ではなく、特殊な専門語はそれぞれの専門辞典によらざるを得ない。
 もう一つ辞典編纂の立場から気づいたことは厖大な専門用語を系統的に理解する方法の必要性である。かつて旧制第一高等学校長として令名をはせた岩元禎(ドイツ語、哲学)は「語学の勉強上、有効な武器は大きな辞典を根気よく引きこなすことである」と言った。憶せず大辞典に取組み、それを使いこなす勇気と忍耐はもとより必要なことである。しかし最近のように専門用語が増大するとただ慢然と片端から辞書を引いていてははじまらない。とくに自然科学糸の専門用語において然りである。
 近年医学と薬学、医学と生物学、化学と生物学といった境界領域 border-line fieldの学問が長

  足の進歩をとげつつあり、今後諸分野の交流はさらに深まり、教育研究上,実務上において接点に立つ人は増大するであろう。医学生物学の領域はすでに人間の健康に関与する分野から生命の本質を探究する分野にまでその裾野をひろげて居り、年間に誕生する新造語は1500語とも2000語ともいわれる。
 医学生物学にかぎらず自然科学用語の英語名は遠くギリシャ、ラテン両文明にその源流を発している。この両古典語が学術用語に多用されるのは第一にギリシャ、ラテン両文明が早くから文学、芸術、科学、哲学の分野でその華を咲かせ19世紀までは西欧諸国の学問の共通語であったこと、もう一つは近代の学術の進展にともない、専門用語を作成(造語)する必要に迫られた際、豊富多彩な造語能力、他国語の介入しない純粋性に於て両古典語がもっともすぐれていることによる。
 これから医学、薬学、生物学を学ばれる諸君は用語の構成を念頭において言葉に接するよう心掛けることをお奨めする。終りに化合物名と共にもっとも系統的、合理的なルールによって構成されている医学生物学用語について少し例をあげておこう。
 用語の構成でもっとも多いのは〈接頭語+接尾語〉の型式によるものである。たとえば5万以上あるといわれる病名の大半は
 (器官を表わす)接頭語*+(症候を表わす)
 接尾語*から成る。(言語学上、正しくは造語形という。)
 gastritis 胃炎<gastro−‘胃’+−itis‘炎症’gastro−,−itisはそれぞれギリシャ語 gaster‘胃'、itis ‘炎症’から誘導され各種の病名、症候名、術式名などの表現に使われる: gastralgia 胃痛<gastro−‘胃’+−algia‘痛み’。gastrotomy胃切開<gastro−‘胃’+-otomy‘切開’各器官に相当する接頭語はすべて決められている。adeno−腺、angio−血管、arterio−動脈、arthro−関節、broncho・気管支、blepharo−眼瞼、cardio−心臓、celio−腹部、cephalo-頭、Cerebro-大脳、cheilo−唇、cholecysto−胆嚢、cysto−膀胱など主要器官のみで約100種類ある。接頭語となる症候、術式等を表わす用語も多彩である:−emia血液の症状、-uria尿の症状、−cholia胆汁症状、



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