No.16.1977.10



音楽鑑賞講座によせて

平   野   春   逸

 この度、図書館主催によるクラシック音楽鑑賞
講座が、館長渡辺幸生教授の尽力により芸術鑑
賞の一環として、月2回の予定で催されるように
なったことは同慶の至りである。
 これが単なるレコード・コンサートでなく鑑賞
講座というところに大いに意義があるのではない
かと思う。言いかえるとコンサートといえば趣
味、娯楽といった面も多分にあるが、講座となる
と各人がその音楽に対して精神を集中して聴くと
いったような積極的心構えが大いに必要であると
いうことである。
 ここでちょっと付言しておきたいことは、レコ
ード(音盤)といえば、音楽の複製みたいなもの
で実演とは凡そほど遠いものと思っている人もあ
るようだが、現今の Lp はもはや実演の代用品で
はなく実演とは別個のすぐれた音楽芸術を聴かせ
てくれるもので、同じ複製でも絵画の場合とはだ
いぶん趣きが異なっている。実演のように動的視
覚上の妨げもなければ、周囲の聴衆の雑音もなく、
さらに録音技術と再生器の進歩により、実演感を
充実した今日では実演より美しいことさえある。
しかも録音曲目は各時代の名曲が殆んど網羅さ
れ、それに過去、現代の別なく名演奏家のベスト
と認められた演奏や、その比較なども可能で純音
楽的な鑑賞には絶好のものである。
 一般に音楽鑑賞講座は教養や情操のためにとよ
くいわれ、とかく音楽知識の涵養がその目的のよ
うに考えられがちであるが、少なくとも音楽が一
つの芸術として与えられる場合には、このような
特定の狭い目的をもっているものではない。音楽
鑑賞は勿論他の芸術鑑賞と同様に、利己的に歪め
られた実際生活の感情が、その歪から解放されて
超個人的なものに高められ、全人類的な感情に同
感するような結果をもたらすものである。
 我々の肉体が健康な状態を保つには、日々摂取
した食物が充分消化、吸収され、さらに順調な排
泄作用が行われなければならない。ところで人間
にはこの肉体に宿る精神というものがある。この
精神が健全であるには肉体と同様に一種の排泄作
用即ち、Aristotle の唱えた精神の浄化が必要で
ある。我々の感情は常に動きたがっている。喜
び、悲しみ、恐しさなどの刺激を絶えず求めてい
る。従って我々が Beethoven の第5交響曲「運
命」を聴いて血を湧かし、悲劇を見て泣き、喜劇
を見て笑うのは現実のものではなく、仮象に過ぎ
ないと知りながらも泣き、笑い、激昂する。たと
え泣かされたとしても不快ではなくかえって爽快
な感情を経験する。これは日頃鬱積した感情を解
放した結果の快感で、これこそ精神が浄化された
健全な状態である。この精神を浄化し、情操の陶
冶によって精神状態を高揚し発展させることに芸
術鑑賞は大いに意義があり、ひいてはこれが文化
の発展にもつながるものである。
 音楽の音は発せられると同時に消えていく空気
の振動という物理的現象に過ぎないが、それを聴
いているうちに心の中に image として残り互い
に連結されて一つの気分とか情趣、或は情景と
なるが、これが鑑賞であり理解である。従って鑑


図書館報 P.2 →