理由により一般に入手することが困難な図書館資料の複製物を提供する場合である。
 複製を行うことのできる主体は、公共的性格を有し記録保存的機能を有する図書館等であり、その範囲は、政令で具体的に定められている。これに該当する図書館等は、国立国会図書館および公立図書館等の図書館法2条1項の公共図書館、学校教育法1条の大学等の附属図書館(昭和50年5月1日現在の学校数は大学が933校、高等専門学校が65校である)、日本科学技術情報センター、国公立の研究所、試験所等の図書館、文化庁長官の指定する施設などで、図書館法4条1項の司書またはこれに相当する職員として文部省令で定める職員が置かれているものに限定されている。したがって企業内図書館などのように営利団体が設置するものについては複製の自由は認められない。
 利用者が公表著作物の複製物の交付を求めうるのは、「調査研究の用に供するため」必要な場合だけであって、娯楽用とか鑑賞用のために交付を請求することはできない。ただし、学校その他の教育機関(営利を目的とするものを除く)における授業のための資料としての著作物の複製には、
著作権者の許諾を必要としない(35条)。 この場合でも、著作物の種類、用途、複製の部数、態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、これには含まれない。
 図書館資料の保存のための複製とは、たとえば、図書の欠損、汚損部分の補足とか、損傷しやすい古書、稀覯本の保存のために必要がある場合であって、図書のマイクロフィルム化も、その必要がある場合に限って許容される。一冊の本を、貸出し、閲覧等の目的のために数部複製することは認められない。
 また、図書館相互の複製物の提供についていえば、これが認められるのは前述の著作権法施行令1条で複製業務の認められている図書館等の間だけであって、これ以外の企業内の資料室や研究室などへの提供はできないことになる。
 学問研究の飛躍的な進展にともない、大学図書館においては、各種多様な情報管理や情報サービス活動の必要性がますます高まってくるであろうが、著作権法の趣旨をふまえて、今後とも公正な利用と適正な慣行を積み重ねていくことが肝要であろう。               (法学部長 教授)

郷土の先覚と遺著(9)
 立花実山
   −「南方録」の編者−
               井 上   忠

 古来博多は栄西が南宋から茶種をもち帰って背振山に蒔いたのを発端として茶との縁が深く、戦国期に博多の豪商のなかにはわび茶の方式を利用して為政者への接近を計る者もあったし、下って江戸期には茶禅一味の境地を示す人も現れた。元禄の立花実山、化政の仙崖和尚をその代表とすることができよう。
 福岡藩政の基調が文治主義へと移行するのは3代光之のころからとされる。光之の時代に立花一族が栄達を極めたが、この一族は柳河城主立花宗茂の同族扱いの身分で、その先祖が粕屋郡薦野城主であった事情もあり、−主家が関ヶ原役で西軍についたため解散となった後−福岡藩に召抱えられる身となったのである。
 その一人がここにとりあげる立花実山で、名を重根、通称を五郎左衛門、号を実山・宗有・而生斎などと称し、文治政治への転換期にふさわしい大インテリてあった。若くして地もとの貝原益軒、京都の木下順庵に学び、天資英敏また博学多識で、和歌や漢詩文に長じ、また定家流の書をもよくした。
 茶人としての嗜みもあり、壮年のころ参勤の伴をして江戸滞在中、京都の知人を介し利休秘伝茶湯書5巻の写本を得た。利休の弟子南坊宗啓が記録したもので、宗啓は利休の始めた茶道のもつ精神的な意味を最も深く理解した弟子とされる。その内容に深い興味を覚えた実山は、さらに利休の秘伝を探し求め、宗啓が作った堺の集雲庵にあることを知った。元禄3年(1690)参勤の途中に立寄って庵を守る姻戚に懇願して借り出し、大阪の宿で二日二晩をついやして写したといわれる。こうしてここに新たに秘中の秘とされる2巻を加え計7巻を得て、彼が師事する崇高寺古外和尚に書名を依頼し、『南方録』の名を得たという。それは茶経のはじめにある「茶ハ南方ノ嘉木ナリ」の語に由来したとされる。
 さらに禅の境地を尊び、しばしば参禅し、偈をのべ、


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