カバーする意味で、駅ビル内の立地条件の良い場所に、弘済会が書店経営に乗り出していることである。
 3. スタンド販売
 (1) 出版社−取次会社−スタンド専門会社−スタンド−読者
 (2) 出版社−即売会−スタンド−読者
 私鉄の売店や駅周辺の立ち売りを組織化しているのが、滝山会、啓徳社といった即売会ルートであり、スタンド販完の草分け的存在でもある。
 (3) 出版社−取次会社−小売書店−スタンド−読者
 三つの型のスタンドの合計は71,000台である。アメリカ100,000台、フランス44,000台、イギリス25,000台、イタリー17,000台、西ドイツ9,000台。
 4.割賦販売ルート
 出版社−取次会社−割賦会社−読者と流れる。
割賦会社は100社を超え、百科事典、全集物、カセット、図鑑などがこのルートに乗っている。
 5.直売ルート
 出版社−学校・幼稚園・代理店など−読者と流
れるルートで、直売出版社には学研、リーダーズダイジェストなど10社程度ある。
 6.生協ルート
 出版社−取次会社−生括協同組合−読者
 7.輸出ルート
 出版社−日本出版貿易(専門商社)又は取次会社の海外課−海外の小売書店−読者
 8.教科書ルート
 出版社−取次会社−特約供給所−取次供給所−学校−生徒
 9.新聞販売店ルート
 新聞社−新聞取次店−読者の流れで、主として系列新聞社の出版物で、特に週刊誌が多い。
 出版物の流通は再販問題など今後に残された問題は山積している。限られた紙面で論ずることは不可能である。出版科学研究所の資料を要約し、流通の実体を紹介したにすぎない。流通問題にメスを入れることは興味あることであり、他日是非挑戦してみたいと考えている。資料の収集に尽力していただいた講談社に厚く御礼を申し上げる。
                  (商学部長 教授)

 郷土の先覚と遺著(11)
 奥 村 玉 蘭
     −『筑前名所図会』−
                      井 上  忠
 江戸時代における参勤交代制は交通制度の発達をもたらし、商用・社寺参詣を利用しての名所見物が流行し、17世紀中葉以後、京都・江戸をはじめとして各地方の名所案内記も現われる。さらに18世紀末から19世紀初期にかけては『名所図会』と名づけて文章よりも絵画の比重がおもくなり、しかも写実性にとみ、居ながらにしてその光景を想像させるものが出てくる。九州の各地方でも計画されたようであるが、経費の問題や出版社との交渉がうまくゆかなかったのか、本格的なものは刊行されていない。
 ここにとりあげる奥村玉蘭の『筑前名所図会』も文政4(1821)年に成稿し浄書して藩庁に献じ出版を願い出たが、不幸にして藩の許しを得ることができず、150年を経た昭和48年に地元の新聞社の肝入りで初めて稿本通りの複製版が出たも
のである。
 わたしが初めてこの稿本に接したのは戦後、当時拙宅の裏にすまれる奥村家分家の奥村武氏(現西新病院副院長)宅においてで、同氏は先祖のこの業績をどうとかして出版し世に問いたいという熱意に燃えておられた。こうした子孫の方々の努力がみのったのである。
 本書10巻の著者奥村玉蘭は名を源兵衛、のちに源之丞といい、号を灘洲、渕伯とも称した。灘洲とは古代に博多の地方を「灘県」と記したことに由来し、彼の住居の傍らに那珂川が流れていたから「灘」と改めたのであろう。その遠祖は豊前中津の出身で黒田氏の筑前入部のともをして博多に入り、家伝によれば第1世は博多の豪商大賀の配下にあって朱印船の船頭役をつとめ、第4世の弟(玉蘭の祖父)が分家して中島町で醤油の醸造を始め、中島醤油とよはれた。父の代になると、その3人の弟も各町に分家して醤油を製造・販売し家業は大いに栄えたという。玉蘭の生涯については、その師友戸次陽甫が書いた極めて簡畧な伝記がある(陽甫は春吉に生れて戸次氏をつぎ宜春とも号し、学問を徂徠派の亀井南冥からうけ、詩文


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