| 図書館の施設と効用 宮谷 俊胤 大学の評価は、その大学の図書館の評価につらなるとさえいわれている。完備した蔵書・施設等の提供によって、そこに包容されている構成員は、それを充分活用し、学的識見を深めることができ必然的に大学の評価を高めるからであることはいうまでもない。猫に小判的な装飾品陳列館を考えていないからである。その提供と活用とは、互いにシーソー・ゲーム的に比例高揚しなければ、図書館の存在意義は薄れることになる。おのずから完備した施設等とは、過去の蓄積に立脚した最新の施設等に対応したものに努力・追求し、かつ、機能的・効率的に利用しやすいものでなければならないであろう。 ところで、日本学生の図書館利用率は、一般に低いといわれている。その理由が那辺にあるのか熟考・調査したことはないが、1年有余のロンドン大学大学院での生活を通して感じた諸要因を思いつくままに述べてみよう。 指定教科書的なものはほとんどなく、各学期のはじめに配付されるレジメ(講義内容項目、関連条文および判例出典を記載したもの)に従って講義され、フリー・ノートである。一般的に、講義方法は、概括的広範囲にわたり、文献等の紹介量は膨大であるが、その内容について深く立入ったコメントを付することは少ない。レジメに掲げている判例(各講義項目ごとに少なくとも5件の紹介はある)についても1件ないし2件のアウトラインを解説するに留め、その他紹介された文献等は、各人が図書館で読むなり、コピーによる自宅学習にてノート整理せざるをえない。学説紹介も例外ではない。「以下、詳細は某教授の著書何頁を参照されたし」という調子である。講義ごとに紹介される書物・判例集をすべて購入・完備しえるほど経済的に豊かな学生は少ない。おのずと学生は、予習・復習に日夜遅くまで図書館を利用せざるをえないことになる。わが国の一般的な深狭的講義方法と比較して、いずれの方法が学生により効果的教育であるのか考えさせられるところである。 |
同種判例集が開架式で提供され、コピー室以外にも通路に数台のコイン投入によるコピー機が備えられているのもその実用的必要性のためである。枚数の少ない場合には、コイン投入機の方が便利である。余談になるが、コピー室で一冊の書物をコピーしていたときの話である。係員が「どこから来たのか」と尋ねる。興味本意の質問であろうと「日本から」というなり、「貴国には Copyright Act はないのか」と、回転の鈍い筆者ははじめて質問の趣旨がわかるありさま。途中で帰りかけると「その続きは後日にどうぞ」とウインクする。経験主義・実用主義国家といわれているイギリスでの経験である。 試験シーズン前になると、学生の目の色が変わる。図書館の席を確保することは、一層困難になる。ノートを開けたり閉じたりしている光景をよくみかける。日頃整理しておいた判例を1件につき200字位に要約したものを暗記しているのである。少なくとも200件は記憶しておかなければ及第しないとのことである。判例法主義に基づく法学教育としては当然なのかもしれない。試験は、一科目2時間の長文の応用問題であり、読解するだけでも骨の折れる事実関係の設問である。出題問題の作成過程は、わが国に例のない複雑な制度である。まず、担当教授が問題の原案を作成し、ロンドン大学内の各カレッジの関連分野の教授がそれを検討し、更に、他の大学の教授の評価を経て、最終的に、適宜、修正して出題されるとのことである。入試問題の作成ではないので念のため。過去の出題問題はすべて開架式に保存されており閲覧は自由である。過去5年間の問題を調べてみたが、類似のものはない。学生にいわせれば出題されていない箇所がヤマであるとのこと。お国が違えば、傾向と対策も異なるものである。試験結果の合否一覧表は掲示され、わが国の入試合格者の発表光景を想起させる。 このように、図書館が学生の日常生活に欠かせないものであることは、それ相応の機能的・効率的な利用サイドに立脚した施設等が必要である。最近の情報化社会での出版物の増加現象は、従来からの出版物の整理・保存・管理という受動的図書館活動とともに機能的・効率的に利用できるように能動的図書館活動を加味せざるをえなくなっ |
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