| ため同好の士の詩文をあつめて一小冊子を作り、祭奠の料にかえて供えるというゆかしさもあった。「歳事」では日月を追ってこの地の生活慣行を記す。正月一日の夜に男の児が数人集団で廻り、家々の戸をたたいて称えるはやし言葉を列挙して、唐船貿易で巨利をえていた頃の口すさみであろうと帰納する。たとえば「やうやうめでたや、一がうせんと申は、二がうせんと申は、これの尉々(おきな)のじやうじやうの袂から、白がねこがねばらりばらり落された路から、とっさまのひょっくりひょっくり拾はれた」また「あやも千だん、錦も千だん、紙がな千駄ばかり、萬駄ばかり、かね包ふわらかな、千駄ばかり、萬駄ばかり、銭縄なはふ」等々。 ついで「土産」・「薬品」の部ではこの地に始まる衣食住に関する特産物から薬品・草木にまで及び、附録では烏石(石炭)に触れる。金石類の項では、宗湛の祖父寿禎が中国から新しい銀の精錬 |
技術を習得して帰り、各地に拡めた功績を強調するのはよい。しかし「博多銀」の存在に注目しながら、それを造らせた者は当時すでに忘れられていたようである。これは大陸出兵に必要な品物を調達するため秀吉が造らせたものである。その数枚が櫛田神社に保存されていたが、今次大戦後進駐軍がスヴニールと称して奪い帰った由である。 とくに入念なのは「人事」でいわゆる博多三傑をはじめ、10余人の年行司の伝記が語られ、最後に「雑著」として博多に関する古来の詩歌文学、その他の補遺をつける。凡ゆる部門に及ぶ、無駄のない充実した郷土誌というべきであろう。(人文学部 教授) 訂 正 第21号「郷土の先覚と遺著(11)」3頁、右側、上から19行目「神話伝説を描いた場面も少なく」を「……少なくなく」に訂正 |
| 自然科学とは古くは「人間」に対する「自然」という概念でとらえられていた分野の学問で、その中には数学、物理学、化学、天文学、地学、生物学、医学等の広い範囲の学問分野が包括されていた。16〜17世紀に始まる科学革命によってそれ以前の神話的、抽象的な現象の解釈や説明から実験や観察・観測に基く事象の再現性を検証する近代科学へと変化していくと共に学問分野の分化が始まり現代では著しく細分化され、また専門化されている。この様に広い学問分野を含み、しかも極めて長い歴史を持っている自然科学全般にわたって入門の手引きをし、また入門に適する本をピックアップして解説を試みることは私の能力をはるかに超えているもので、到底出来る相談ではない。そのためここに紹介するものは自然科学の中の極く一部の狭い分野に片寄り、しかも個人的偏見に満ちたものになるかも知れないことをお許しいただきたい。 | 自然科学とはいうまでもなく自然界に起る諸現象をよりよく理解し、更にそれらの現象の根本に横たわる一般的法則(原理)の発見に向けての知的努力である。その努力の結果、自然科学の特定の分野の現象に対してある法則が発見されると、原理そのものが示す意味は勿論のこと、その原理と今迄の知識と技術を土台に実用化されていくと、それ以前に人々が持っていた色々なものに対する考え方−価値観や世界観−に大きな変革をもたらしたことは枚挙にいとまがない。 自然科学に入門することは決してむずかしいことではない。種々の自然現象に対して「何故か」という疑問を発することに始まる。疑問が生じたならばそれをより良く理解出来るようにたゆまず努力をすることである。努力の第1段階として、自分が発した疑問がすでに先達によって解決されていないか検討してみる必要がある。先ず自分の疑問な点を身近かな友人や先輩に聞くことによ |
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