で後ほど悪戦苦闘することになる。小部屋の広さは本学の個人研究室の2倍ほどあろうか。廊下の奥にドアがもう1つあって、この内が図書室である。共同研究室の3倍ぐらいの広さで、右手隅と向い側の隅に1つづつカード・ボックス。右側の窓際に、研究室にあるような机が2つづつ向いあわせに2組おいてある。残りの壁は三方ともすべて本箱で、5mほどの天井までとどくような、がっしりとした木製、全部に鍵がかかり、内部はみえない。左隅にもう1つドアがあって、その奥の部屋が館長室になっている。広さも図書室とほぼ同じぐらいで、入って左側が窓になっている。館長の ECALLE 夫人(ただし本年4月で定年退職された)が、3m四方ほどの巨大な机にむかって、博物館の管理運営と、ご自分のユゴー研究に没頭しておられる。この部屋も壁全体が本箱だが、ガラス・ケースのものもあり、これまで出版されたユゴー全集、作品集がぎっしりつまっているのがみえる。資料的価値はもちろん、愛書家にとって垂涎の的になっている版本も多い。 蔵書は2系統に別れる。ユゴーの肉親たち、家族たち、友人や崇拝者たらの肉筆の手紙類と、印刷されているユゴー文学研究文献類である。ユゴー自身の原稿類は、彼の遺言によって、すべて、国立図書館、略称 B・N に寄贈されており、ここにはない。しかし、伝記的研究のためには、家族や友人の手紙類は不可欠のもので、『人文論叢』にユゴー抄伝を連載中の筆者には、この図書館がもっとも重要な場所となった。 蔵書の閲覧など、図書館の利用は、入口の切符売場の主任に、その旨を申し出ると、館長室へ案内され、そこで自分の身分職業を名乗り、大学からの出張命令書、フランス人教授の紹介状などを添えて許可を願えばよい。初対面の外国人だから、お互い、最初はどうしても、しかるべき書類が相手を見定める手掛りとなるのはいたし方がない。筆者が持参した、ユゴー関係の論文集と翻訳書を寄贈すると、館長のエカル夫人から大変よろこばれた。館長として、できれば、全世界で出版されるユゴー関係の全ての論文、単行本を収集し、将来の研究に役立てたいと、熱心に語られた。日本語のものでもかまわない、タイトルを仏訳して添 |
|
えてほしいとの事であった。 図書館の机をひとつ専用にいただき、それから、大学の講義のない時は、ほぼ毎日通った。まずカード・ボックスを利用して、目ぼしい文献を書き抜き、これに10日ほどかかる。それから現物を貸していただくのだが、最初は1度に1冊で、その題名その他を貸出簿に記入してから渡される、その度に大きな本箱の鍵をガチャンと開閉し、しかも時には梯子にのぼらなければならないという重労働を60歳すぎのエカル夫人がして下さるので、時々ハラハラし、いつも申し訳ない気持だった。幸い、6月頃から RIVERA 君という好青年が図書係として赴任し、それからは万事きわめてスムースに運んで、閲覧は都合よくいった。 雑誌論文などはコピーしたのだが、この機械が、テキストに原紙をあててスイッチを入れ、その投写がおわってから、その原紙をもう一度、感光紙に重ねて焼付(?)しなければならないという、骨董的珍品だったため、その操作を副館長の LAFARGUE 嬢に手をとってご教示いただく仕未。今から思えば、日本にはコピー機械もないのかと、彼女にとんだ誤解を与えたのではと、これだけがたったひとつの心残りである。この誤解をとくためにも、パリ再訪を実現したいと念願している。 フランスの大学図書館についてとのご注文だったが、これは他にお書きになれるお方もおられる筈なので、おそらく誰も行くことがないユゴー博物館付属図書館をご紹介した次第である。 (人文学部 教授)
 (昭和54年8月〜昭和54年10月) ☆職員異動 54年10月1日配置 菰田 容 図書一課(和漢書係) 54年9月30日退職 内田恵子 図書一課(洋書係) ☆研 修 大学図書館司書主務者研修会(於 九州会館) 54年8月21日〜23日 山崎出席 54年8月24日 本学図書館見学研修 図書館等職員著作権実務講習会(於 神戸大学) 54年8月28日〜30日 高木出席 |