| 三浦 隆之 |
||
| アメリカ合衆国の古都フィラデルフィアには、2つの大きな川が北から南にほぼ並行して流れている。東の川がデラウエア川、西の川がスクルキル川である。都心部は、この2つの川にはさまれたところにあるが、ペンシルバニア大学(以下ペン大)は、スクルキル川を西に渡ったところに位置している。ペン大の北東部にドレクセル大学が隣接していることもあって、このあたり一帯は、文字通り「大学都市」(University City)と呼ばれている。 200エイカー(25万坪)というペン大の敷地は、アメリカの代表的総合大学の1つとして、決して途方もなく大きなものではない。同じアイビー・リーグのプリンストン大学の敷地は2,600エイカーに及び、カリフォルニアのスタンフォード大学は8,000エイカーもの広さを誇っている。しかし、都市部の大学の例にもれず、高層の学生寮が周辺部にいくつも立ち並ぶペン大にも、一歩そのキャンパスの内側に入り込めば、緑豊かな空間がまだたっぷりと残されており、ここに学ぶ者たちに研究や講義の合間の貴重な心のやすらぎの場を提供している。 キャンパスの中心は、本部図書館や本部事務局などに囲まれたクァド(長方形の大きな中庭)である。そこには、立入自由の芝生、点在する大樹、パンのかけらでも投げ与えようものなら途端に限りなく接近してくる小鳥たち、シッポが胴体よりも大きいのに動きのすばしっこいリスたち、創立者ベンジャミン・フランクリンの大きな座像などを背景にして、学生たちが思い思いのスタイルで三々五々寝ころがったり立話をしたり次の講義に急いだりする一大集散拠点になっている。 このクァドから北側にのぼるとロー・スクール、南側にくだるとメディカル・スクールがある。クァドを東にぬけると美しい花園のロータリーをもつスミス遊歩道沿いに理工系の建物が整然と並んでいる。また、クァドの南西部に、かつて野口英世がニューヨークのロックフェラー研究所に移っていくまでの |
滞米当初の2年間を過したというローガン・ホールを見ながら、西に足を向けると並木のきれいなローカスト遊歩道沿いに1982年末に全面改装が完了したビジネス・スクール(Wharton School)の本部(Steinberg Hall-Dietrich Hall)があり、さらにその先に私がこの2年間(1981〜83年)を過したマクニール・ビルディングがある。 マクニール・ビルディングは、キャンパスの中でも比較的新しい建物の1つで、伝統的なレンガを外壁に使用しているが、斬新な広い窓を配したモダンなデザインのせいか古くささは微塵も感じられない。この正方形5階建の建物は、製薬業界の名門マクニール家(ジョンソン・アンド・ジョンソンの大株主)の一員(ビジネス・スクールの卒業生)の寄付金によって建てられたことが、その1階ロビーにある填め込み式彫金板にしるされている。 地下は天井の高い駐車場になっている。1階西側出入口のそばに経済学部の事務室と学部長室があり、東側出入口の近くに社会学部の事務室・学部長室がある。階段・エレベーター・トイレは、各階北側の東西にそれぞれ1つずつ付いている。トイレは、東側が男性用、西側が女性用になっているが、研究室のドアと同じものが使われ、室番号までついていて、初めはとてもトイレとは信じられなかった。また、各階の北面沿いには、教員用のワークショップ室や学生用のセミナー室のほか一部には図書室やコンピュータ室などが用意されている。そして、東・南・西の三面沿いの外側に研究室、廊下をはさんで内側に秘書室、さらに回廊があってその内側は2階から5階まで大きく吹抜けていて明るい。秘書室は両面総ガラス張りである。2階フロアーは、ソファ等がおかれてロビー風になっており,交流の場として多角的に利用されている。4階西面の一角には、セルフ・サービスの喫茶室兼談話室があって、主として若手教員や大学院生のたまり場になっていた。 |
|
| ← P.3 | 図書館報 | P.5 → |