・フー」となっているが,隋唐の時代以前では「プー」であり,秦漢の時代より前では「パー」であったことはすでに知られている。一方、「・ディエディエ」は本来の中国語ではなく、トルコ系の言語から借用したもので、日本語の「チチ」などと関連のある言葉である。そして,この言葉が盛んに使われだしたのは、あの北魏の頃からなのであった。
 中国の歴史とは、古代のいつかにおこった固有の中国文明が自律的に展開してきたものではなく、周囲の種々の異民族との接触・葛藤やまたその文明の受容のくりかえしであった。

中国語を学び中国を見るとは、とりもなおさずこのような文明史に触れることである。そして、明治維新以来、日本が目標としてひたすら追いつづけてきたヨーロッパ文明について、これを客観的に眺めることができる立場を持つということである。
 以下に一読すべき書物を挙げる。倉石武四郎「中国語五十年」(岩波新書)・輿水優「中国語基本ノート」・竹内実・羅漾明「中国生活誌」(以上、大修館)・陳舜臣他「中国・風土と文明」(小学館)。
(人文学部 助教授)

横棒

 ローマ帝国時代、ヨーロッパ各地に分散したローマ人たちは、のちに俗ラテン語と呼ばれる言語を話しました。この言語は各地域で独自の変化をとげ、今日「ロマンス諸語」と称される10言語に分化しました。 この時期には征服・植民に加わった人々によって、数多くの記録・史書が書かれ、幸いこれらは『大航海時代叢書』などの翻訳によって読むことができます。
 しかしスペイン帝国の繁栄は長く続かず、
紀元前3世紀末に現在のイベリア半島に侵入してきたローマ人たちの言語も、俗ラテン語から3言語に分れたのですが、半島の中部では三つの方言になり、そのなかでスペイン中世を貫く国土回復運動において、中心的な力となったカスティーヤ地方の言語が優勢になり、ほぼ現在のスペイン語の母体となったのです。スペイン語のことをしばしばカスティーヤ語と呼ぶのは、このためです。
 スペインは国土回復運動の勝利によってヨーロッパ随一の大国となり、「黄金世紀」と呼ばれる文化・芸術の全盛期を迎えます。
スペイン語について 杉浦 勉 また新大陸の植民地にも腐敗や不満が増大しました。中南米諸国がスペインから独立するのは19世紀初頭のことですが、その後この地域は革命・クーデター・侵略などの試練を経ながら、各国固有の文化・伝統を築いてきました。それらを勉強するには政治経済を対象とする研究よりも、むしろ現在、世界的な評価を得ているこの地域の文学作品を読んだ方が、より普遍的だと思えます。『ラテンアメリカ文学叢書』『ラテンアメリカの文学』など、小説を中心に数多くの翻訳が現われています。
 最後に入門書として、歴史では増田義郎『コロンブス』、
『ドン・キホーテ』をはじめとする数々の名作が誕生したのもこの時期のことですが、エリザベス朝文芸やフランス古典劇ほどに翻訳が多くないのは残念なことです。一方国内統一を完成したスペインはポルトガルに続いて海外進出も開始し、コロンブスによる新大陸発見を皮切に、北はキューバ・メキシコから南はチリ・アルゼンチンに至る、今日の中南米地域の大半を植民地とし、同時にスペイン語が伝えられました。
文化ではオクタビオ・パス『孤独の迷路』、文学ではガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』を推します。いずれも平易ではありませんが、アメリカや英仏独とは異なった<西洋>の姿が、わたしたちを驚嘆させます。
(人文学部 講師)
イラスト


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