て物理学を志すことになる。
 Kundtに従ってWürzburg大学に移ったが、Abiturがないため大学は彼に教授資格を与えなかった。仕方なく新設のStrasbourg大学に移りその資格を得ることができたのである。その後Giessen大学に転じ、その業績が認められて、かつて教授資格を拒絶された Würzburg大学に迎えられた。

 彼は努力の人であった反面、Zürichでの学生時代、Wirthaus zum grün Glass(緑盃亭)に洒をのみに通った。そこの二女Bertha Ludwigは後の彼の夫人である。(この小文を書くにあたって、常木実、志賀達雄、兵頭春木、青柳泰司諸氏の書を参考とした。)
(医学部 教授)



 新入生諸君は小学校、中学校そして高等学校とギッシリ知識をつめこまれて大学にはいってきたばかりのときだから、いまは満腹感と開放感で一杯だと思う。本は、活字は見るのもいやだという心境だろうし、それに「人生の春、5月は一度去って再び来らず。」という時期だろうと思う。
飛ぶようにして家に帰っておかねをとりに行き、小脇にかかえてもって帰って、しばらく眺めていたことを今でもあざやかに思い出す。これが経済学研究者としてのスタートになった本である。
 そのほかこれに類した本もいくつかあるが、K. Wicksellの書物Geldzins und Güterpreiseと
 私自身学生時代は1年中春5月で、図書館にこもって勉強した記憶はあまりない、せいぜい図書館の屋上か、地下の喫茶室で友人とダベった思い出がある。大学の教師になって職業として書物を読むようになってからも、自分の読む本は自分で買うほうだから、図書館の利用度はあまり大きくない。というのは私は本に原語の訳やら、そのほかの書き込みをしながら読むほうであるし、それに寡読のほうで、年に1冊か、2冊ぐらいしか読まず自分で用意するほうだからである。どうも図書館を利用せざるの記になってしまったけれども、要は試験のときでも、 図書館と本 種岡輝雄 その訳本「利子と物価」(北野訳、日本評論社)も印象の深い本である。K. Wicksellのこの本は一般均衡理論と貨幣を結合した経済学上の古典的名著の一つであるが、それとともに訳書も印象深い。それはこの本の古本市場での価格が非常な高値をよんでいるからである。たしか学生時代に新刊を購入したときの価格は3円50銭しかなかったのが、いまは3万円前後の価格がついているからである。原著のよさ、訳の正確さ、絶版、稀少価値がこの価格をよんだものであって、文字どおり「洛陽の紙価を高からしめた。」わけである。この本に比較するすべはないが、
卒業論文を書くときでも必要に応じていつでも気がるに図書館を利用すればよいわけである。
 本のはなしになるが、書棚を見ればJ. R. Hicksの Value and Capitalがまず目につく。もう、30年以上も前になるが九大の大学院(旧制)のころ、J. R. Hicksのこの本を読むことになった。図書館の本ではおちつかない私のことゆえさがし求めていた。なにぶん戦後の復興いまだしの頃なので、いまとちがって物、とくに本はなくて見つけるのが困難をきわめていた頃の話しである。ところが、燈台もと暗しのたとえどおり、長崎市のT書店で古本を見つけることができた。たしか初夏の灯ともし頃であったが、

長崎高商(長崎大学経済学部の前身)時代の恩師、伊藤久秋教授の書かれた「マルサスの人口論の研究」(丸善)がある。先生のお話しでは出版当時は売れなくて倉庫料がかさむから丸善から処分してくれといわれた本だそうだが、のち古本市場では高値を呼んだ本である。この価値は退蔵の価値、積んどくの価値というべきであろうか。
 今までの経験から学生諸君にいえることは第一にしっかりした内容の本をゆっくり長い時間をかけて読みなさいということであり、第二に本の選択にこまるときには講義を受けているそれぞれの教官にききなさいということである。
(経済学部 教授)


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