| て物理学を志すことになる。 Kundtに従ってWürzburg大学に移ったが、Abiturがないため大学は彼に教授資格を与えなかった。仕方なく新設のStrasbourg大学に移りその資格を得ることができたのである。その後Giessen大学に転じ、その業績が認められて、かつて教授資格を拒絶された Würzburg大学に迎えられた。 |
彼は努力の人であった反面、Zürichでの学生時代、Wirthaus zum grün Glass(緑盃亭)に洒をのみに通った。そこの二女Bertha Ludwigは後の彼の夫人である。(この小文を書くにあたって、常木実、志賀達雄、兵頭春木、青柳泰司諸氏の書を参考とした。) (医学部 教授) |
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