40.エリス編 『ジェフリー・チョーサー作品集』
1896年/ハマスミス刊/Perch2折判(424×291mm)チョーサー活字(本文)・トロイ活字ボーダー20aから26番まで紙刷り(425部):20ポンド [ヴェラム刷り(13部):120ギニー]
Ellis, Frederick Startridge (ed.) -- The Works of Geoffrey Chaucer. ii, 554 pp. Hammersmith : Kelmscott Press, 1896.
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『ジェフリー・チョーサー作品集』本書はケルムスコット版の中で最大の判型(425×292mm)で製作されたから、左頁の題扉はモリスのデザインした木版題扉では最大のものということになる。右頁のバ−ン=ジョ−ンズによる挿絵にはチョ−サ−が描かれている。それを囲む装飾はモリスのデザイン。また挿絵のなかの右寄りに描かれた植物にはモリス的な曲線が認められる。頁上部の見出しには18ポイントのトロイ活字が用いられ、装飾冒頭語‘Whan’で始まる中英語で綴られた本文は、『カンタベリ−物語』(1387頃-1400未完)の「総序の歌」で、12ポイントのチョ−サ−活字で組まれている。
モリスはゴシック建築の研究や彩飾写本や初期印刷本の収集などを介して中世を志向していたし、彼が発表した詩作品もしばしばチョ−サ−風と評されてきた。そのモリスが、立ち上げつつあったケルムスコット・プレスで「英詩の父」チョ−サ−の作品集を印刷・刊行しようとするのは、むしろ当然の成り行きであった。モリスが18ポイントのトロイ活字をデザインしたのも、大振りのゴシック活字による印刷で写本の雰囲気を再現するためであった。1892年1月にトロイ活字が活字鋳造家プリンス(Edward Prince, 1847-1923)のもとから工房に納入されるや直ちにモリスは数節を二段組に組んでみたところ、判型が大きくなり過ぎることが判明したので、彼はトロイ活字を12ポイントに
縮小したチョ−サ−活字の導入に渋々ながら踏み切った。
 モリスとともに学生時代にチョ−サと出会い、それをその時期の最大の発見と考えていたバ−ン=ジョ−ンズも、この企画に全面的に協力する態勢にあったから、1892年12月の刊行予告では彼の挿絵が60点も入る予定であったのに、結局それは87点にまで増やされた程であった。
 テキスト面では、スキ−ト(Walter W. Skeat, 1835-1912)が最良の6写本で本文校訂をした学術版『チョ−サ−全集』(The Complete Works of Geoffrey Chaucer, 7vols.,1894-97)を底本とすることでモリスと編集担当のエリスは一致し、1892年にスキ−ト版の版元であるオクスフォ−ド大学出版局に許可を申請したのであるが、その時は却下された。その後1894年8月に工房は、ファ−ニヴァル(Frederick J. Furnivall, 1825-1910)が6写本を対照させた『カンタベリ−物語』(A Six-Text Print of Chaucer’s Canterbury Tales in Parallel Columns, 36 parts, Chaucer Society, 1868-79)からエルズミア写本(Ellesmere Ms)の本文を底本にして『カンタベリ−物語』を印刷し始めた。キャクストンが初めて印刷した『カンタベリ−物語』(1478)を底本にしなかったのは、モリスが写本の雰囲気を再現することにこだわったからであろう。『カンタベリ−物語』の印刷と並行して、モリスは出版局に三度目の申請を出し、ケルムスコット版『チョ−サ−作品集』はスキ−ト版の単なるリプリントではなく、タイポグラフィ−と装飾面での美を追求する美術品であって、注も解説もない高価な限定版になるはずであるから、出版局の利益を侵害するものではないことを訴えて、1894年10月に許可を得ることができた。他にも技術的な問題が絡んだりして、印刷には1年9ヶ月間もかかってしまい、本書が完成したのは1896年6月、モリスの死去する4ヶ月前のことであった。
 結局ケルムスコット版の本文は、『カンタベリ−物語』以外は、事実上スキ−ト版のリプリントであったし、前付も注も難語集も添えられなかったので、学術研究用の定版とはなり得なかった。それにもかかわらず本書は、バ−ン=ジョ−ンズの描いた87点の挿絵のみならず、モリスがデザインした木版題扉1点、本文用縁飾り14点、挿絵用縁飾り18点、装飾冒頭語26点を贅沢にあしらった2折判二段組556頁の堂々たる刊本として世に送り出され、これがケルムスコット版の精華となった。ゆったりした書斎で目を楽しませながら中英語文学の世界に遊ぶ贅沢を教養人に提供する、まさに究極の「理想の書物」であった。425部刷られた紙刷り本の売価が20ポンド(48万円相当)、13部のヴェラム刷り版は120ギニ−(300万円相当)もしたのに、発売6ヶ月前に予約だけで完売したそうである。このような書物を美しいと感じるかどうかが、モリスのブック・デザインに対する我々の好悪を判断する試金石となるであろう。
 本書をめくると判るが、バ−ン=ジョ−ンズは優美な細身で激情を潜ませながらも無表情のうちに神秘性を湛えた人物を好んで描いている、語り部としてのチョ−サの姿も頁を追うにつれ老け込んで描かれている。バ−ン=ジョ−ンズは『カンタベリ−物語』の中の「騎士の話」とか「学僧の話」とか「郷士の話」を好み、野卑な話や滑稽な話を無視する傾向にあったから(したがって猥雑な巡礼者の集団も挿絵に描かなかった)、『カンタベリ−物語』に割り振られた28点の挿絵にチョ−サ−らしいユ−モアや諷刺を読み取ることはできない。彼には87点の挿絵を提供した報酬として500ポンド(1,200万円相当)が支払われた。ちなみに『カンタベリ−物語』のための挿絵28点は岩波文庫(1995)にも転載されている。
 ところでモリスはケルムスコット版の装丁にはほとんど無関心であったが、唯一『チョ−サ−作品集』に対しては、白い豚皮に空押し模様を配した装丁をデザインしていた。モリスのデザインで48部がダヴズ製本所(Doves Bindery)において装丁され、そのうち紙刷り特装版45部は33ポンド(80万円相当)で販売されたが、重量は6kgあった由である。またヴェラム刷りの特装版も非売品として3部製作された。本学の所蔵本は残念ながら標準的なリネン装である。(藤井哲)

総序の歌
カンタベリー物語の書ここに始まる。

四月がそのやさしきにわか雨を
三月の旱魃の根にまで滲みとおらせ、
樹液の管ひとつひとつをしっとりと
ひたし潤し花も綻びはじめるころ、
西風もまたその香しきそよ風にて
雑木林や木立の柔らかき新芽に息吹をそそぎ、
若き太陽が白羊宮の中へその行路の半ばを急ぎ行き、
小鳥たちは美わしき調べをかなで
夜を通して眼をあけたるままに眠るころ、
―かくも自然は小鳥たちの心をゆさぶる―
ちょうどそのころ、人々は巡礼に出かけんと願い、
棕櫚の葉もてる巡礼者は異境を求めて行かんと冀う、
もろもろの国に知られたる
遥か遠くのお参りどころを求めて。
とりわけ英国各州の津々浦々から
人々はカンタベリーの大聖堂へ、昔病めるとき、
癒し給いし聖なる尊き殉教者に
お参りしようと旅に出る。
そんな季節のある日のこと、こんなことが起こりました。
じつは、わたしはとても敬虔な気持ちからカンタベリーへ念願の巡礼に出かけようと、サザークの陣羽織屋に泊っておりました。
ところが夜になるとその旅籠屋に二十九人もの人たちが一団となってどやどやと入りこんできました。
この人たちはいろんな階級の人たちで、ふとしたことから仲間になった連中でした。
彼らはみんな巡礼さんでカンタベリーへ馬に乗ってお参りしようというわけでした。

使用翻訳書:チョーサー作 桝井迪夫訳『カンタベリー物語』岩波文庫 1995