7.ヤコブス・デ・ヴォラギネ『黄金伝説』(全3巻)
1892年 ハマスミス刊 Flower(2)大型4折判(290×212mm) ゴールデン活字 ボーダー5a・5・6a・7番 紙刷り(500部):5ギニー
Voragine, Jacobus de -- The Golden Legend. 3 vols[.pp. 1-464 ; 865-1286] Hammersmith : Kelmscott Press, 1892.
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『黄金伝説』
 モリスが工房のためにデザインした3種類の活字の最初のものはゴ−ルデン・タイプと呼ばれているが、それはモリスが『黄金伝説』を印刷するためにデザインした活字だからである。とはいっても既刊のNo.1〜No.6もゴ−ルデン・タイプで印刷されていた。『黄金伝説』を印刷するのに必要な大判の用紙がバチェラ−社から届くまで、小型判の印刷を先行させたからである。印刷面を注意して見ると、フル・サイズの小文字は正方形に近く、‘b’は‘d’の単なる裏返しでなく、‘u’は‘n’のひっくり返しではなく、‘i’の点も円形ではないなど、モリスの活字へのこだわりが窺える。
 左頁の木版題扉はモリスがデザインした最初の全頁大のものである。またバ−ン=ジョ−ンズによる挿絵が105頁の対面と245頁対面に綴じ込まれている。モリスのこだわりは印刷面周囲の余白の確保にも向けられていて、本書の第1巻には「本書が装丁される場合、三方は揃えるだけで裁断されるべきではありません」というモリスからの注意書が挿み込まれた。
 『黄金伝説』 (Legenda aurea )は、いわば『新約聖書』の続編として、ジェノヴァの大司教ヤコブス・デ・ヴォラギネ(1213頃-98)がラテン語の散文で集成したものである。すなわちキリスト教がその想像力を発揮させて各地の異教伝承や土俗信仰を1,000年かけて諸聖人の伝記に取り込んだもので、キリスト教におけるギリシア・ローマ神話的な存在として、中世にあっては『聖書』に次いで頻繁に手写され翻訳されてきた第一級の説話文学である。
 1470-1520年には『黄金伝説』が盛んに各国語に翻訳され再版されたが、「文学の傑作を印刷すること、とりわけ、キャクストンの刷ったような初期イギリスの古典に向かいたい」と考えていたモリスは、英国最初の印刷職人キャクストン(William Caxton, 1422頃-91)が初期近代英語に訳して1483年に出版した『黄金伝説』に着目し、それが1527年を最後に再版されていない事実を知って驚いた。
 クォリッチ(Bernard Quaritch, 1819-99)を発行者とする契約を彼と交わしたモリスは、既に書籍商を引退していたエリス(Frederick Ellis,1830-1901)に編集を委ねた。エリスは「覚書」で、本書はケンブリッジ大学図書館所蔵のキャクストンの初版本を底版にしているが、単なる復刻ではないから、読み易さを優先させ、意味不明の表現や誤訳はためらうことなく修正し、‘&’以外の省略表記を避けたと断っている。しかし同じキャクストンの再版でも、『トロイ物語集成』(No.8)『狐のレナ−ドの物語』(No.10)や『ブイヨンのゴドフリ−とエルサレム征服の物語』(No.15)の場合とは異なり、『騎士道』(No.13)もそうであったように、可能な限り原典に忠実な再版たろうとした。
 右頁は本文の第1章「主の降臨」である。我々はラテン語の原典の全訳を、前田敬作・今村孝・西井武・山口裕・山中知子共訳『黄金伝説』(全4冊,人文書院,1979-87)で読むことができるが、キャクストン版はフランス語訳からの重訳なのであった。
 ウィリアム・S・ピ−タ−スンは湊典子訳『ケルムスコット・プレス』(平凡社,1994)においては、工房にはまだ『黄金伝説』を「製作するじゅうぶんな力は備わっていなかったが、壮麗な大冊に対するモリスの好みを表している。『黄金伝説』は強い感銘を与えるかもしれないが、モリスが心に思い描いていたような書物ではないし、のちに彼がケルムスコット・プレスでつくることができるようになった類いの書物でもない」と指摘している。「理想の書物」を目指したモリスの試行錯誤の一階梯を、我々は本展示品に見ていることになるのであろう。(藤井哲)