1.岡縣白島碑(外) おかあがたしろしまのひ

大版一巻一帖 亀井南冥(かめい・なんめい)撰文  亀井曇栄(かめい・どんねい)書 天明七年(1787)成

所蔵情報(岡縣白島碑(外)おかあがたしろしまのひ)
表紙写真(岡縣白島碑(外)おかあがたしろしまのひ) 内容写真(岡縣白島碑(外)おかあがたしろしまのひ)

 本碑は撰文した南冥が後に廃黜の憂き目(西学問所甘棠館祭酒を罷免)に会う遠因の一つとなったものとして、その碑石打ち砕きの一件は南冥伝中の有名な事件である。
 碑文の主旨は、現在の遠賀郡大島(一説に沖の島とも)が藩領となるに至る次第を述べて、その地の漁民の大功を顕賞するものであり、発端は門人で山鹿浦大庄屋秋枝廣成(あきえだ・ひろなり)に依頼を受けた南冥が早速に文を作り、弟の崇福寺住職曇栄が筆を揮って書きあげたものであった。碑石も彫り上がった所で、藩の役人加藤一純(かとう・かずずみ)から文面に穏当ならざる部分があるとして打ちこわしの命が出、一端は建碑を中止して地中に埋めたものを、更に掘り出して打ち砕いたという次第である。それに対する南冥の家老久野外記(ひさの・げき)に宛てた陳情書なるものもあって(高野江鼎湖(たかのえ ・ていこ)著「儒侠亀井南冥」)南冥と一純との間の確執もわかるが、当の碑石そのものはこの時打ち砕かれ、その文章は草稿のみが南冥門人の間に写本として残るもののみと思われていたのだが、近年その原碑の拓本を雙鉤(籠字に写し取ること)したものが出現し、その写真版が「亀井南冥 ・昭陽全集」第八巻上の巻頭に掲出された。
 今回の展示品はその原拓の一本であり、恐らく従来未発見だったものである。碑石完成直後、土中に埋められる迄に拓されたか、再度堀り出されて砕かれる際に、門人の誰かによって拓されたか、何れにしても稀品である事は間違いない。ただ、惜しまれるのは全本ではなく後尾の三開分(十七行)を欠く。文章自体は前記「全集」によって見る事が出来るので、最後尾の年記署名の部分(六行)だけを転記しておく。

天明丁未春三月 國學教授亀井魯道載撰

萬年禅寺幻庵曄曇榮書