14.福博新詞(内) ふくはくしんし

中本一巻一冊 藤田謙三郎(ふじた・けんさぶろう)著 明治十一年(1878)十一月刊 
 福岡簀子町 古野徳三郎(ふるの・とくさぶろう)、福岡橋口町 山﨑登(やまざき・のぼる)板

所蔵情報(福博新詞(内)ふくはくしんし)
写真(福博新詞(内)ふくはくしんし)

 いかにも明治本らしく、アニリン系の赤色見返しをつけた板本だが、明治も二十年代迄はまだまだ、こうした木版仕立ての本が多かったのは、恐らくこうした仕立ての方が活版本よりも安価に、より早く出来上がるものだったからだろう 。
 内容は福博の名勝を十八題選んで七絶に詠んだもの、いわゆる竹枝体の漢詩集だが、明治の新時代らしい詩題が興味をひくと共に又、 江戸の名残りも窺うことが出来て、余り類例を見ない面白い一冊である。著者藤田謙三郎については残念ながらあきらかにし得ないが、板元の一人山﨑登は、「改正福博詳見全圖」(49番)の板元でもあり、 新時代の出版界に先駆けて頭角をあらわした書肆の一人である。
 十八首それぞれに豊前の村上仏山(むらかみ・ぶつざん)、筑前の宮本茂任(みやもと・もにん)、播磨の水越成章(みずこし・せいしょう)、亀山雲平(かめやま・うんぺい)の四人が評語をよせているのは、当時流行の清朝詩集の風情にならうもの。詩題は箱崎、招魂社新茶屋、掛釜松、石堂、西門劇場、櫛田神社、柳街、洲崎、中島橋、住吉橋、電信局、福岡城、光雲社、中教院、菊池首塚、荒戸山、姪浜と並んで大体東から西へと辿るもののようである。

  柳街 紅燈万点 金釵ヲ閃カシ
     岸ニ近ク楼々 是レ柳街
     街下ニ船ヲ繋ギ 人絶エズ
         水声月色 小秦准

 まだ石堂川の河口にあった柳街の風情がよくうかがえよう。秦准は中国南京の運河の名で、その辺りの花柳街は中国文人の詩文に甚だ有名な所。従って小秦准の詞は、当時漢学書生にとっての最高のほめ言葉であったに違いない。