17.君子訓(外) くんしくん

半紙本三巻三冊 貝原益軒(かいばら・えきけん)撰 天保十三年(1842)八月刊 
 夜須郡曽根田村 佐藤藤右衛門(さとう・とうえもん)蔵版 
 久留米 中沢嘉右衛門(なかざわ・かえもん)彫刻 元袋附 欠巻:中

所蔵情報(君子訓(外)くんしくん)
表紙写真(君子訓(外)くんしくん) 内容写真(君子訓(外)くんしくん)

 本書は筑前夜須郡曽根田村ほか、数村の大庄屋をつとめた佐藤藤右衛門が天保十年(1839)頃、未刊の益軒著作「君子訓」の写本数本の校訂を月形質に依頼し、更に当時江戸の林家に入門していた筑人江藤良東(えとう・りょうとう)を介して林培斎(はやし・ばいさい)の序を乞い、久留米の彫師中沢嘉右衛門に板刻させて刊行した私版の一つである。益軒自序によれば「凡民ををさむるに、いにしへの聖の道を法とすることはいふもさらなれど、今の世の人、おほくは経史にくらく、また官職に居る人は、学ぶにいとまなくして、いにしへの経済の道にうとし。ここに我愚昧を忘て、かつてきけるところをのべて、いささかいにしへの道のかたはしをあらはす、(中略)只一村ををさむる小吏、一郡をあづかる代官のうちに、古の道にこころざしありて経史を見聞するにたよりなき人のため、もしくは小補にもなりぬべくおもひてなり」とある所から、村主、村役人などといった人々の為の訓えを述べたもの。所謂益軒十訓の内の一書である。益軒著述の多くがその生前京都の茨城氏(柳枝軒)などの大書肆から刊行されているのと違って、本書は筑前の一庄屋の手で、しかも久留米の彫師を起用して田舎版として刊行された所に、大きな意義があり、更に本書は田舎版の通例に似ず、彫り、摺り共に見事な出来栄えを示している所に、天保という時代の地方文化の根づき様を具体的に見てとることが出来る、記念すべき出版物といえる。