2(B).葵氏艶譜【きしえんぷ】(外)
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『葵氏艶譜』は初版1(A).本刊行後、三年後に改題本
『歳時事実 廓中艶譜』(文化三年(1806))が、更にその九年後には外題を初版に戻した
『葵氏艶譜』2(B).本が刊行されている。2(B).本は、初版本の画をそのまま使用し、和文序と発句の部分を新たにして
刊行したもの。
特に注目すべきは序で、初版と同じ「ちぬ翁」こと奇渕によるもの。
「葵氏は花洛人 初(め)足斎 又雙鳩と号す。後築石(つくし・筑紫)に下りて何某の君の寵を得て奉仕す。
秋圃とあらたむ(後略)」と、作者「葵氏」こと「雙鳩」が、大坂から筑紫へ下り仕官して「秋圃」と名のったこと
が記される。筑紫に至るまでの経歴を裏付けるものとして注目されよう。(展示パネル『葵氏艶譜』を推理する参照)
また、発句部分も刷新され、下巻はそのまま一丁分だが、上巻は一丁増えて合計三丁、
中巻も一丁増の計二丁と初版本よりも増丁される。秋圃の発句も初版では中巻(五丁裏)「かへられし下駄のひくさよ
おほろ月 足斎」と記されるが、2(B).本では同じ句ながら上巻(「上又七」丁裏)に「葵氏秋圃」と作者名が変更し
て記され、和文序の経歴と呼応する。
諸家発句には初版と同様廓関係者も見えるが、加えて上巻(七丁裏)に芝翫
(三代目中村歌右衛門)、中巻(「又四」丁裏)に璃寛(二代目嵐吉三郎)、という化政期上方人気役者の双璧が見えるのは、
時代を反映したためか。同時に中巻(四丁裏)には「いよ(伊予)良雅」「をの道(尾道)蔵六」等、発句者が上方以外の
広範に渡っているのも初版にはみえなかった特長である。