6.[うめわさむ]
甘木の梅窩帰来を追悼する彩色版追善句集。元表紙は欠。序文中「かみな月それの日麦川
素蘭 枕流の徒追悼の俳諧をもよほす」とあることから、本書の成立は麦川等が主催した追悼句会が発端とわかる。
本書は、梅窩帰来の遺物図(印章・煎茶道具他、半丁分)を皮切りに序文(二丁)、本文と続く。本文は二部構成で、
帰来の遺句(計六丁)と、「十月望四七日於梅窩興行追善俳諧歌作行」からはじまる折々の発句(計三十丁)から成り
その間に六名分(計三丁)の彩色版の挿絵が掲載され、跋文を「平安 十丈園」が記す(一丁)。詠者は九州だけでなく
「信濃 一茶」「越中 布世丸」「越後 石海」(十九丁裏)に広がっており、秋圃も「奈多浜にて」と題した中に「舟玉
に先吹そめよ青あらし 秋圃」(十二丁裏)という句を寄せる。
挿絵は秋圃を筆頭に、仙崖、東斎、月指道人、十丈、月庵、計六名(計三丁)。ちなみに秋圃は後年、天保十年(1839)、
博多の古刹聖福寺の住職・仙崖義梵の頂相制作を依頼されるが(小林法子「筑前関係絵師資料」)、年表における具体的な交流
の初見は本書序より半年前、同文政二年五月二七日。神授硯の内箱に檀主として「秋月藩秋圃士」と記している。この頃すでに
交流があったことが窺え、本書でも七丁表に秋圃が(詳細画像参照)、同丁裏に仙崖が白蓮画讃を揮毫している事は興味深い。