江戸期の板元【はんもと】

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     板元とは、整版本【せいはんぼん】(版画を作る時の要領で文字や絵などを裏返しの形で板木に彫り込み、摺り上げて綴じた本)や 活字版の出版者を指し、特に個々の版本について販売・流通・出版の権利を独占した書物問屋(現代の本屋)をいう。 明治期以降に著作権が制度として確立されるまで、板木は、作者のものではなく板元のものであった。そのため、江戸期においては 出版しても作者には筆料しか入らず、量産せねば生活苦に陥る者も少なくなかった。
     板元の板株【いたかぶ】(出版の権利)は書物問屋の仲間を通じて他の板元から保護されており、 蔵板しているものは自由に再摺りしたり、改題本に仕立て直したりすることができた。資金繰りに窮すると板株を他の板元に譲渡してしまうのも、 ごく普通のことであった。また、これらの本を摺るための板木の量は膨大であり、摺らない時には普通質に入れたりした。 板木さえ持っていれば、需要に応じて自在に本を摺って出すことができた。その際に掛かる経費は摺り賃と紙代程度で済んだので、 摺れば摺るほど利益があがったという。そのため、一般に摺りが重ねられるほど手数が省かれ、板面も傷んで荒れてきて、 初摺りの趣を失ってしまうこともあった。
    作品が、どの板元で摺られたのかを確認するには、通常奥付の刊記(通常巻末にある、刊本年月日・刊行者・ その居住地などの表示)や見返し(前表紙の裏)を見ればよい。一つの板元で摺られている場合も少なくないが、刊記などに複数の 板元の名前が連なって記されている場合も多い。これは相合版【あいあいばん】といって複数の板元が板木を分担して持つもので、 勝手に摺るのを防止する意味もあり、出版権を守ることにもつながった。
    板元の数は、出版が盛んになると増えていったが、なかでも有名なのは蔦屋【つたや】重三郎であり、出版の内容も多様で、 狂歌や戯作物などに関しては、ほぼ独占市場であった。鍬形恵斎(北尾まさよし政美)の本をもっとも出しているのは、初期は蔦屋で、 鶴屋、西村屋、村田屋と続く。後期は、須原屋が独占している。