(ニュールンベルク大学)

                       楯 岡 重 行

 
講義のない日はニュールンベルクのエギィディエン・プラッツにある市立兼大学図書館にかよう習慣であった。
 図書館はドイツにしては遅い10時開館である。ニュールンベルクから直線距離で15キロ、アオト・バーンを経由すれば25キロ、シュワーバッハに住んでいた私は、雪の多い冬の朝は汽車を選んだ。目抜き通りのケーニッヒ・シュトラーセを真直ぐに、ローレンツ・キルへを右に見て、なだらかな坂をおりたところに、ペグニッツの川が流れる。川のほとりの“エドウショー”で、コーヒーの香をたのしみながら、パイプをくわえ、開館前のひとときを待つ慣しになっていた。ここから図書館まで7、8分、大学はカーツェン・シュプルングーねこのひととび、目の前にある。
 学部に所属する開架式の図書室が二つあった。経営関係のそれと、経済学関係の図書室とである。自由に好きな本を選んで読むことができるが、貸出は許されなかったようだ。もっとも私は教授の特権を利用して、主任のクッチェンバッハ女史に断って、しげしげと借り出してはいたが。教授指定ないし推薦の図書は、開室と同時に学生が殺到し、広くもない部屋は坐る場所もなくなってしまう。したがって、私は学部所属の図書室は敬遠して、もっぱらエギィディエン・プラッツにある図書館を利用していたのである。
 この方は学生のみならず、一般の市民も利用できる。そこで読むというより、借り出し専門に学生は利用していたようである。5、6冊一度に借り出すことができたし、貸与期間も1ヶ月であった。希望すれば、さらに1ヶ月延長もできた。

 窓口の横の壁に面白い漫画が書いてあった。大きな尻尾をもった2匹の狸が、仲よくしようぜ!といって握手している図である。貸出窓口の事務職員と学生の間でトラブルがあるらしい。感情のくいちがいは、言葉を越え肌の色を越えて、どうやら国際的に共通な現象であるらしい。このポンチ絵を見るたびごとに、私はほほえましくなった。
  暖房のよくきいた広い読書室は、ゆとりをもって机が配置され、それぞれにスタンドがつけてあった。ほてった顔を挙げると、どんよりと鉛色に曇った空から、絶え間なく、まんじともえと雪が舞い、そして踊る姿が見られた。異境にあって日本を想ったのはこんな時だったかもしれない。
  この図書館で一番有難かったことは、フェルン・ライのできることである。私の読みたい、1920、30年代の本は殆んどといってよい程なかった。その時は、かくかく、しかじかの本をフェルン・ライしたいと申し出れば、図書館から各地に手配して、2週間以内に手許にとどく。マールブルクから来た本の場合もあったし、大抵ミュンヘンの州立図書館からきていた。これに要する費用は一切無用。図書館から各地に手配する郵便料もいろうし、現物をニュールンベルクに送り届ける郵送料、本が到着したと私に連絡する葉書代だってかかる。どんな仕組みになっているのか知らないが、全く有難い制度である。
  貴重な本が特定の図書館、または大学の施設にはいり、それを利用できる人が狭く限定されている日本の現状と比較してどうだろうか。狭く限定されるとは、コネでもなければ、よそ者は大学の図書館から本も借り出せないだろうし、どこか他の町の図書館から、居ながらにして希望する本を取り寄せるということが想像できるだろうか。
  社会的資本の立ち遅れは何も港湾、道路に限るまい。日本の後進性、いやひずみは文化的諸施設の面にも多々ある。こと図書館に限っていえば、閉鎖性とエゴイズムが目立つ。相互の交流があれば、いたずらに書籍が塵をかぶって、書庫にねむることもなかろう。夢は飛ぶ。世はまさに情報化の時代。GNP大国、津々浦々の図書館の、一切の蔵書目録を中央の管理機関にあるコンピューターにうちこみ、希望があれば所蔵する図書館に指令して複写して渡す。こんなコンピュートピアはこないものかなと、夢はかける。(商学部教授)


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