No.2.1970.12.
旧図書館と新図書館

前図書館長  井上 安孝

 本学二十五周年の記念事業として建設され、一応の面目を施した旧図書館が、既に極度に手狭になっていた昭和42年末、私は図らずも図書館長に選出された。勿論、全館到る処に書籍が山積みし、館長室も整理分類の事務室と化していたため、早速新聞コーナーを潰して整理室を増設し、能率の増進を計ったが、それも亦翌年には、館長室の半分を再び事務室に当てねばならぬ程の、急激な蔵書と業務の増加ぶりであった。それは数年前から、工・薬・商学部の学科増、法経両学部の大学院設置などが着々と行なわれ、その都度、図書の増加を急速に計る必要があった為であり、それに私の在任期間になってからも、産業経済学科の増設、商薬両学部の大学院修士課程の設置、人文体育両学部の増設、或は翌年度理学部設置の準備と、着実に進んで行く本学の発展過程に即応した、急激な蔵書増と大量な業務の拡大に対処せねばならなかったからである。私が朝の間だけ、本館3階片隅に狭い研究室を復活して使ったのも、処狭しと積まれた書籍と多忙な館員諸君の間をぬって、頻繁に講義に出かけるのを多少とも控えようとした挙であったかと思われる。私はあの頃毎日仕事に追われていた館員諸君の努力を、現在も多としたい気持であるが、若い人達にも、今からは当時が懐かしく回想されるのではなかろうか。
 扨、新図書館建設の計画が並行して進められていたことも事実であるが、思い出すのは記念会堂が竣工して間もない頃、私が会談中に多少本気で、当時の学長に新図書館の建設を進言したことである。当時即答はなかったが、実際に建設となって偶然直接の管理者となってみると、何か多少の感慨なきを得なかった次第である。新図書館の建設は、こうして私が図書館にはいる以前に決まっていたが、実際にはその直後の43年2月、愈々建設の運びとなって、文科系研究室を含む現在の9階建の設計が急速に進められ、当時図書課長は、多忙な中で、設計打合わせの為頻繁に当局に呼び出されることとなり、私も亦幾回となくそれに参加し、或は協議の為に遅くまで館長室に居残ったことも屡々であった。最後まで問題となったのは、4階に小規模のL.L.を造るか否かであったが、現在の形になってみると、それも却って好ましい姿であると思うのである。その間図書課長其の他が、新築図書館の視察に派遣されたことは勿論だが、愈々着工となると、今度は館内備品の整備が問題となり、同時に次年度、人文学部、体育学部、化学工学科増設の為の準備が始まって、益々多忙を極めるなかで、課長と私は、再びその決定をせまられたが、その頃私は課長其の他が、かねての視察中に撮影してきた、図書館備品や内装の夥しい写真に目を見張ったものである。そして私も出来るだけ新築図書館を視察したし、備品は終局的に一切をK商店の調達に依頼したが、最後まで読書の雰囲気を出すために、テーブルの大きさやその色調、閲覧室椅子の布地の色合の変化、或は玄関広間の床や階段スレートの色調、それに館長室要具の色合に至るまで、細心の注意を払ったつもりでいる。私は備品と色調から来るあの図書館の落ち着いたムードには、館員諸君とともに密かに自負するものがある。
 以上は、一面至極当然なことであるけれども、私には何処かに記録に留めておきたい気持ちがあったし今回寄稿を乞われるまま、筆にすることにした次第である。

(副学長、人文学部教授)


図書館報 P.2 →