No.3.1971.2.
図書館とは

元図書館長  梅田 政勝

 昔は人についていうなら家柄とか身分とかに重点をおいて考えたし、物についてもそれに固有な属性ででもあるかのように、物がそれにふさわしい価値をもつはずと信じていた。そこで経済の問題としても財の価値を唯物的に説明しようとして、価値が費用として投下されるものに支配されると主張していた。そればかりかこの物についても一時的な流量(フロー)よりも持続的な貯量(ストック)を尊重した。そのために昔は資産、とくに不動産をもたない人は独立した市民として扱われなかった。そこでフランス大革命以来の社会主義も身分制については私有財産制を目の敵とねらうことになった。しかし人について身分制が権威を失って、各個人の能力や働きを重視する近代的な秩序ができてくると、財についてもそれの価値が物の属性とは区別されて、それの機能、したがってまたこの機能を物からとり出す私達の身がまえとの関係から見直すことになった。
 このような例も図書館というものを理解する上で、いくらかでも役立つのではないかと考える。図書館は昔は書物が失われないように、ひたすら保蔵するだけの設備であり、書(文)庫にすぎなかった。しかしこれが近代化されてくると、ここに保管される書物を利用することが主眼となってきて、書物の活用を助長するように管理されている。図書館がそれの利用者のために快適な付帯設備までも、当然のこととして付設するのもこのためである。
 しかし図書館についておこった変化はこれだけにつきるのではない。また例を経済学にとると、財というとき昔は形のあるものだけしか考えなかったので、財を生み出す産業も形のある物を作る場合だけに局限されていて、この物から私達が得る用役については生産と認めることを阻まれていた。金融や商業が産業と対立的に区別されていたのはこのためであった。しかしこれも経済学的にいうと、生活水準がまだ低かった時代の特徴で、たとえば「衣食足りて礼節を知る」というように、生活水準が向上してくると形のないものまでも理解できる能力が発達してきて、これを尊重するだけの心のゆとりさえも生まれてくる。そこで今は形のない用役でさえ財や商品とみるようになっている。この例を図書館の場合にあてはめると、形のある書物だけを考えていればよかった昔とは違って、今の図書館はたとえ書物ではなくとも、これに似た機能をもつ物ならマイクロフィルムやテープレコーダーから、さてはこれらをリプリントして利用しやすくするための装置までも、備えなければならなくなっている。このようにして現代の図書館は、昔ながらの名称が背負わせている局限性を実はとっくに乗り越えてしまって、今は情報の活用というずっと広くてまた高い機能のための機関となっているのである。
 そしてこの情報の活用は、少なくとも大学の図書館についていうならこれを利用する学生としては、情報をただ機械的に模写したり、かき集めたりするだけにおわってはならない。そこで得た情報を整理し、組みかえた上で、何か新しい認識を得るように役立てなければならない。このようにしてこそ図書館に大学生活の中枢機関たるべき使命をはたさせることができるのである。  (経済学部教授)



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