図書館報
No.50.1988.4


雑誌「赤い鳥」
小野 庸

 私の母は、明治末期のハイカラ女学生で、文学少女であったらしい。鈴木三重吉に憧れていたので、幼い私に彼が主宰する児童文学雑誌「赤い鳥」を毎月買ってくれた。メーテルリンクの「青い鳥」を知る人はあっても、児童教育に大きな影響を与え、後世日本の文学に大きな貢献をなした、大正7年から昭和11年まで刊行された「赤い鳥」の名を知る新入生諸君が何人あるだろうか。
三重吉はこれら一流作家の文章を、「御座居ます」を「ございます」というように、遠慮なく児童向きに筆を入れて直したという。
 一流作家の文だけではなく、読者である少年少女の綴方、詩を選んで掲載した。少女時代に「綴方教室」を書いた作家の豊田正子は、鈴木三重吉の「綴方運動」によって育てられた。
その本の名は知らずとも、中国唐代の李復言の伝奇小説「続玄怪録」を、児童向きにし、俗世の栄耀栄華より心豊かな里があると説いた、芥川龍之介の「杜子春」を知る人はあろう。無名の西条八十の才能を認め、収載した童謡「歌を忘れたカナリヤ」を、幼い頃皆歌った記憶がある筈である。
 この「赤い鳥」が現在でも、多くの人々に愛されているのは、「児童は独立した人格を持つ」という考えを基本とし、その一篇一文に、
表紙画像
大正13年11月号表紙
清水良雄画
 大正7年創刊の時掲げた理想に、「俗悪な子供の読物を排除する」という意味のことがある。そして表紙、挿絵も本の象徴として重視し、清水良雄、武井武雄、川上四郎などの一流画家が担当した。全号196冊の表紙画は、今以て鑑賞に耐える見事なものである。
 私の人生に、「赤い鳥」がどのように影響したか解らないが、子供心に残る珠玉のような本を与えてくれた母に感謝している。
詩情が溢れ、よろこび悲しみがあり、愛があったから、その価値が高く評価されているのである。
 児童文学書とはいえ前述の芥川龍之介や島崎藤村、北原白秋、小川未明、佐藤春夫、坪田譲治などの一流作家の殆んどは、この文学運動に賛同し参画した。

 諸君に学問の、また心の糧として求めるものがあれば、そして幼い時代の懐しい本、青年となって感銘を受け今一度読みたい本があれば、図書館を訪れるがいい。此世の宝に巡りあうことができるかもしれない。
(医学部 教授)


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