新入生諸君へ 鎌田好久
 先日、大学入試のあり方についてのテレビ討論を聞いていたら、ある識者の人が「自分が何をやりたいかをよく見極めて受験してほしい」といった意見を述べていたが、特別の才能を持つ人はいざ知らず、現在大部分の高校生は将来を決定する程の意志をもつに至っていないように思われる。
 古い話ですまないが、私の旧制中学時代を振り返っても、世の中が日米戦争に入る頃で規律ばかりやかましく、授業も受験本位であまり楽しい記憶はない。クラス主任のT先生は日本史担当であったが、私が拓本の宿題を出し遅れた件でひどく叱られてからはその授業まで嫌いになっていた。そんな頃、主任がしばらく不在となり大学の助手らしい若い先生が教壇に立った。当初私達は生意気にも馬鹿にしたような態度で迎えたが、その先生は図書館から古めかしい本を抱えてきて江戸の庶民の生活史を読んでくれた。八百屋お七の物語で有名な江戸の大火のくだりでは、どの町からどの町へ燃え広がったというような話もあったと思う。それまで歴史といえば政治体制の変遷とか、朝廷や武家の文化ばかり教えられ覚えさせられてきた私達にとっては、ただ面白いだけでなく新鮮な驚きであった。一カ月後その先生は去ったが、その後私は歴史が動いていく根底にあるものに深く惹かれるようになった。
 旧制高校の理系を選んだ確固たる理由は思い浮ばない。しゃべるのが余り得意でないといった程度のことだろう。さて高校時代の話は色々あるが、授業について言えばやはり数学のN先生である。中学の数学は特にやかましい教師ばかりで、ただげんこつを食らわないためにのみ勉強した。N先生はテキスト、ノートなど一切持たず、自分だけ楽しそうにすいすいと黒板を埋めて行く。
私はその魔力に圧倒され聴きほれるばかり。先生の書かれる数字や積分記号の何と魅力的であることか。私はそれをまねるのに懸命であった。
 N先生が一度だけ雑談をされたことがある。ロシアの女帝に頼まれたスイスの数学者オイラーが「(a+bn)/n=x 、よって神あり、答えよ!」と質問して宮廷の中でフランスの無神論者ディドローをこらしめたという話である。授業の内容は忘れてもこんな話は忘れない。その話をされた時の先生のちょっと照れ臭そうな表情も。この話にはまだあとがあるのだが、ホグベン著の「百萬人の数学」の巻頭に出てくる。
 戦争は厳しさを加え、私と同年のものでも文系の学生は兵隊に行くことになった。文・理系を問わず全寮制であったので、お互いに夏目漱石や有島武郎などを種に友情論や人生論をたたかわせていた私達の話題も宗教や生死の問題に移って行った。友達が出征する晩に聴いたシューベルトを忘れることはできない。
 高校最後の夏、兵器工場の寮で暮らしていた私は少い余暇を見つけては「百萬人の数学」を読み続けた。農耕や宗教と係わって出発した数学が、60進法から零の誕生へと発展する歴史をたどる時、改めて数学そのものに興味を持つことができた。それは戦争の精神的重圧から免れられる極めて限られた時間でもあった。
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 ホグベンは数学者ではないが、そのまえがきの中で「数学の勉強に絶望した数百万の人々に幾らかの興味と関心を呼び起こし、数学に対する臆病風を追払うこと」がこの本の目的であると述べている。新入生諸君には「受験勉強からくる嫌悪感を」と言い直してもよいだろう。
 どの学科についても言えることだが、このような臆病風のために自分の能力を見失っている人が多いように思う。新しく大学のキャンパスに立ったら、先ず臆病風や嫌悪感を取払い、新鮮な心で学問を見直してほしい。公式や規則をただ覚えるのではなく、それが成立ってきた由来を考えることは、尽きない興味があると同時に本当に理解することにつながる。自ら発見した疑問を自ら追求する姿勢を養うことこそ、大学で学ぶ目的なのだから。
(工学部 教授)


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