図書館報
No.53. 1989. 4


私の読書体験
井手 光治

 本屋へ行く楽しみを覚えたのは中学の頃であった。その当時の英語の担当であったF先生は文学が好きで、気が向くと、先生が寄稿されている地方同人雑誌のことや文学小説の話をされた。ある日、話が志賀直哉の「暗夜行路」に及んだ。先生はストーリィの面白さというようなことではなく、主人公謙作が幼少時の思い出を回想するくだりを例に揚げ、直哉の文章技術について熱っぽく話されたのである。それが非常に新鮮に思われ、私の脳裏に強く焼き付いた。これが国語の授業時間中のことであったなら、それ程記憶に残らなかったであろう。その後、しばらくして、私はとある古本屋で日本文学作品集の中の一冊、志賀直哉集を手に入れた。簡潔で自然な文章、直写と言われる正確な観察に基づく表現、それに続く微妙な心理描写、私は直哉の小説の世界に没入した。これを契機に、私は文学小説を読む楽しさを知った。毎月の小遣いを手にして古本屋へ行くことが、その当時の私の何ものにも変え難い楽しみであった。作品集が一冊増える毎に、宝物でも得たような充足感を味わった。夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、宮沢賢治、獅子文六などなど、中学校を卒業する頃には十数巻を揃えることが出来た。学校では教えてくれない事、日常の生活では得難い体験、そこには未知の世界が展開されている。中には私の理解を超える内容もあったが、そういう箇所は気にせず読み流してしまった。
 かくして、私の読書への興味は益々深まり、高校では西洋文学全集に熱中した。大学では、工学部へ進学した所為もあり、理工学関係の本を読む時間が多くなったが、暇があれば、文学小説に限らず、随筆、評論、若干の哲学書など幅広い読書を志向した。この時期に読んだ本の中で、カミュやサルトルの著作に、ほとんど衝撃に近い程の感銘を受けたことを思い出す。カミュの著作に流れる不条理の哲学、サルトルの実存主義、これらは私の心を引き付けたが、その内容を理解するには時間と忍耐と大きな精神的エネルギーを要した。自らに問いかけ、思索し、その著作を通して作者と対話すること、これが私の学生時代における読書への係わり方であった。
 従来の価値観が崩壊しつつあり、意識の変革が進行している現在、各個人の価値観は多様化している。この様な状況の中では、各個人の読書への認識も変革の波を免れ得ない。21世紀へ向けて、広い視野に立った自己を確立するためには、広く深い知識を獲得し、教養を高めるための読書の必要性が益々大きくなるものと思われる。
 新入生諸君、自己の価値観を尊重し、自分自身に適合した読書法を身につけよう。その時、図書館は諸君に必要なあらゆる情報を提供してくれるであろう。
(工学部 教授)


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