伝統 水谷守男
 オックスフォードに着いたのは正午少し前だった。昼食をすませて、2時丁度にボドリアン図書館の事務室に行った。受付の中年女性に自己紹介して入館したい旨申し出ると、身分証明書を提示しろと言う。名刺とパスポートを渡すと、途端に態度が変り、「professor、そこに座って写真を取って下さい」と言う。機械の前に座って目の前に書いてある指示に従い赤いボタンを押す。フラッシュが2度光り出来上ったようだ。するとまた、「professor、奥へどうぞ」との声で、衝立の奥へ進む。そこにも中年女性がいて、写真とパスポートを確認してから、机上の小冊子をめくり、これを声を出して読めと示されたページには、なんと日本語で宣誓文が書いてあった。内容は図書館の規則を守るというもので箇条書きである。日本語で読んでわかるかと問うと「いや、わからない」との返事には驚いた。それでは英文を読もうかと言うと「いや、日本文でよろしい」と言う。指示通り声を出して読み終ると、彼女の「very beautiful, thank you」には2度びっくり。
 ボドリアン図書館を再建したサー・トーマス・ボドレーの図書館運営規則によると図書は館外に持ち出せず、必ず館内で閲覧しなければならない。この図書館は15世紀にグロスター公ハンフリーの寄贈によって誕生したが、ボドレーが訪れた時には、かなりの図書が散逸していたという苦い経験によるものと思われる。チャールス一世やオリバー・クロムウェルでさえ、この規則には従わざるをえなかったという。それ故、今日でも、入館者は入館許可を受ける前に、必ず厳かに宣誓しなければならない。外国人はそれぞれの母国語で宣誓しなければならないから、宣誓文が小冊子になっているのもうなずける。

この次には何か国語か確かめてみたい。この紳士の国でさえ、図書の散逸を防ぐのは難かしい問題のようだ。しかし、この規則による宣誓は伝統の重さがそうさせるのだろうか。
 第2次大戦中の1943年出版の書物が目的だったので、司書につげると、部屋の中央にある棚から20センチ以上もある分厚いA4版ほどの目録を取り出して探してくれた。ページには著者名と書名が手書きされていたり、印刷した紙が無造作に貼りつけてあった。古い文献だったからだろうが歴史を感じさせられた。閲覧用紙に必要事項を書いて提出すると、2時間後に来てくれという。これではオックスフォードに泊らざるをえない。ホテルを探し、夕食を済ませてから、再び図書館に引き返した。
 書物はすでに届いていたので、早速、コピーを頼んだ。ところが、たとえ研究用でも1957年の著作権法にもとずいてしかコピーできないという。総頁数の10%以内で、連続しての場合は4千字以内、部分的には3千字以内で合計8千字以内という厳しい制限がある。若い美人司書が申込み方法について親切に教えてくれたが、総頁数の10%しかコピーできないことには変りなかった。日本と同様に簡単にコピーできると思っていたが、今更どうしようもない。午後7時の閉館までにコピーの箇所を確認し、それ以外はノートすることにしたが、あと2時間もない。結局、もう1泊することにし、翌日は、終日、図書館で過すことになった。
 日本でも、昨今、著作権に関する議論が、時々マスコミで取りあげられるが、一般的には、余りにも無理解過ぎるのではないだろうか。学生が書籍を買わず、図書館さえも利用しないのは、著作権に関する認識が殆んどなく、安易にコピーに頼っていることにもよるのだろう。われわれも著作権の重要性について、改めて再考しなければならない。
 ボドリアン図書館は世界最古の図書館であり、英国で発行される初版本はすべて所蔵していることでも有名である。したがって、図書の利用だけでなく、保存というもうひとつの重要な役割をもっているから、閲覧規則やコピー規則も厳しいと思われるが、このように古い規則を守り抜き、権利を擁護しようとする伝統に、英国の底力が潜んでいるのかもしれない。
(経済学郎 教授)


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