New Haven 漫筆:アイビーに零れる日差しの中で

小野 信文

 どの位経ったであろうか、目頭に疲労を覚え、英文雑誌から目を上げた。向こうの窓際に一人の女学生が一心にペンを走らせている。分厚いオークの一枚板で作られた大きなテーブルに雑然と置かれたノート鉛筆類から想像すると新入生らしい。窓には紅く色づいた蔦の葉が縁どるように晩秋の淡い逆光に輝いている。その光の中で時折筆を休め掻き揚げる栗色の長い髪と伏し目がちの端整な横顔は金の線となる。わたしには一枚の絵に写った。木製の肘掛け椅子のきしむ音がして,その若き医学生は書庫の方へ立った。ここはエール大学医学部Sterling Hallの図書館である。
 エール大学はコネチカット州New Haven市の中心にある。12のResidential Collegeと建築、美術、演劇、音楽、神学、経営、法学、医学、看護学、林学・環境学の10学部(Professional School)とそれぞれの大学院を有し、学生は合わせて10,000名が在籍する。21万坪の敷地に百数十ものゴシック風レンガ作りの校舎や大理石作りの図書館など芸術的建築物と近代建築が調和するようにゆったりと建ち並ぶアメリカでは最も古い大学の一つである。学生の半数は大学院生で占められ、2,000人の教職員と6,000人のエールを動かす人々、総勢18,000名がYale Communityを形成している。
 人口20万のNew Haven市は財政の半分を大学に依存する。市の起こりは1663年のことで、Reverend John DavenportとTheophilus Eatonをリーダーとした清教徒の一団がイギリスを逃れ、ここQuinnipiackに800人のコロニーを作った。この地は暖流が帰来し、大西洋に突き出したロングアイランドという自然の防波堤を望み港には最適の湾を持つ。Davenportはコロニー戒律を定め、グリーンと呼ぶ広場に教会と裁きの場を作り、2年後インディアンの地名Quinnipiackから夢を託して New Havenと改めた。彼は青年の教育プランを持っていたが、財政確立が急務と考え沿岸貿易に力を注いだため、そのプランは実現されなかった。経営は努力の甲斐なく悪化し、街はコネチカットコロニーに吸収され、眠る街と化してしまう。1701年Reverend James Pierpontら10人の牧師は、建学の重要さを説き、自らの蔵書をNew Havenから少し離れた

Saybrookの街に寄贈し、清教徒Collegiate Schoolが開校するのである。これらの書籍こそが大学の礎と成ったことは明白である。その後移転や分校を繰り返したが、1716年New Havenグリーンに統合され、再びこの街が大学の街・港町として蘇った。エールの名はこの地方出身の東インド会社総督Elihu Yaleの寄付に対する敬意によって名づけられた。
 この建学時の精神は今でも引き継がれ、エール大学が図書館に注ぐ力は絶大である。1983年度では3億6千530万ドルの年間予算のうち8千680万ドルすなわち23.8%(当時208億円)が図書関係・教育備品・サービス等に支出されている。医学部Sterling Hallの薬理、生理学、癌の研究室90程が分室に当たる1階の24時間開館図書館を利用している。またホールには古い医術道具やメモが陳列してあり、博物館でもある。このように充実した部門別分室やBeinecke Rare Book Libraryのほかに最大の図書館はSterling Memorial Libraryである。平日はAM8:30から、日曜日でもPM2:00からいずれもAM0:00まで開館し、一般市民にも開放されている。ここには世界の6指に入るという700万冊を越える書籍が納められ、荘厳な建築と共に大学の象徴でもある。この中の大気は精神を平静にし、思索に没頭させ、創造さえ湧き上らせてくれる。ここで時を過ごした多くのリーダー達がいる。ノーベル賞受賞者ジョシュア・レダーバーグ、ホールダン・ケファー・ハートライン、大統領フォード、現ジョージ・ブッシュ、俳優ポール・ニューマン、メリル・ストリーブ、作曲家コール・ポーター等等。
 エール大学の卒業式はGraduation とは言わず、 Commencementと言う。これはbeginの形式ばった言葉で「始め」とか「始業」という意味である。大学の卒業は「業の終り」という観念ではなく、むしろ修得したことや創造したideaを社会で実践し、リードする「始まり」の記念日なのである。1983年5月23日、282回目の CommencementがOld Campusの中庭で行われ、黒ガウンの3,022名が巣立って行った。この日北の春たけなわ、新緑に茂った蔦が風にそよぎ、明るい日差しに光っていた。
(薬学部 助教授)


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