生命の贈り物

有吉 朝美

 11年前のUCLA留学中のある日、新聞を見ていると、「腎臓の贈り物、生命を救う」という見出しが眼に飛び込んできた。「1954年、ボストンの病院で12月23日に世にも奇妙な、しかし歓迎すべきプレゼントが行われた。それは生きた腎臓のクリスマスプレゼントであった。23歳の双子の兄弟ロナルドから貰った腎臓によって、腎不全のリチャードはその後7年間生きることができた」。
 これは世界で初めての生命のプレゼントであった。今日では、生きている人から貰うのと同様に新鮮な死体からの腎臓でも役に立てることができる。アメリカでは毎年1万例近い腎移植が行われている。人口を考えると日本では年間5千例位がアメリカ並であるが、現実はわずか7百例に過ぎない。欧米では死体腎の利用が80%以上を占めているのに対し、日本では親兄弟からの提供に頼っているため腎移植が少ないのである。
 腎不全では体内の余分な水や代謝産物を捨てることができない。ちょうど下水道が詰まり、ごみ回収車がストを起こした状態と同じである。体内に汚水が溢れ、ゴミ中毒で死を待つばかりとなる。幸い洗濯機のような人工腎臓が発達し週に3回、血液の浄化を受ければ生き延びることが可能になった。しかし、毎日の食事や飲み物に厳しい制限を受けるだけでなく、長い年月の後には次から次に合併症が出て辛い生活がつづく。この行き詰まった状態をドラマチックに治す方法が腎移植なのである。
 「先生、醤油をたっぷりつけた握り寿司を腹一杯食べ、大きな湯呑みに3杯もお茶を呑んだときの感激は忘れません。生きてて良かったです!」健康な生活が戻った患者さんが涙を浮かべて語ってくれた腎移植後の感想である。
 腎不全の患者さんは今日本に10万人もいる。こんなに喜んで貰える腎移植をもっともっと沢山の患者さんにしてあげたい。私達、腎臓病を担当する医師たちの心からの願いである。
 臓器移植の成績は最近著しく向上した。

腎臓だけでなく、心臓、肝臓、膵臓、肺などの移植も信頼できる治療法となった。海外では欧米だけでなく、東南アジア諸国でも積極的に行われている。日本では脳死者の臓器利用が社会的に問題になっており、あちこちの大学では倫理委員会で議論されている。日本で実施困難な移植手術を受けるためにアメリカ、オーストラリア、イギリスなどに何千万円もの費用をかけて臓器を貰いにいく話が新聞を賑わしている。経済摩擦だけでなく、日本は今や臓器摩擦を海外諸国と引き起こしているのである。脳死者の遺族がわざわざ臓器を提供したいと言ってくださっても、まだ倫理上のコンセンサスが得られていないと言ってストップをかけられるのが日本の現状である。コンセンサスとは意見の一致、国民の総意ということだが、どこの国でも全国民の意見が一致することはあり得ない。日本では「隣の百姓」という言葉があるが、隣が田植えをするとき自分も同じことをしないと村の秩序を乱すとして嫌われた。とかく身近な人の顔色を窺うあまり、勇気ある行動が遅れがちになることを反省したいものである。
 倫理とは人の道のことである。生きている人から病める臓器を切り取ることを非人道的として非難する人はいない。同様に、遺族の了承の上で死者の健康な臓器を病める人に移し替えることは人の道に背くことであろうか?
 「あなたの臓器を天国に持って行かないで下さい。神はあなたの臓器が地上で必要なことを知っています。」と書いたバッジをアメリカの病院職員は胸に着けている。身体は死んでもその一部は他の人の身体の中で生きつづけるのである。臓器提供は最後に人がなしうる誇らしい愛の奉仕である。ただ、残念なことに脳死になる可能性が最も大きいのは20歳前後の青年である。受験戦争から開放され、あこがれの大学生になったとき、バイクや車の飛ばし過ぎでかけがえのない命を失うことがないよう、心から望むものである。
(筑紫病院泌尿器科 教授)


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