No.75.1996.7


記 憶 の 本 棚

見  明  史  雄

気恥かしい本棚
 ひとの家で、あるいはひとの部屋で本棚を覗くのは何となくおもしろい。
 本棚の中に横積みした本、きちんと並べられた本。
 どのような本があるのか。その人の妙なこだわりが窺える。
 ああこの人は、実は、パソコンに興味があるのか、インターネットにも関心があるのだなという発見がある。一見してはなかなか気づかないことだが、その人は実はボールペンより万年筆、万年筆より鉛筆が好みだというような、意外な側面を発見できることがあるが、本棚を眺めるとそのような意外性を見つけることもある。
 逆に、他人は自分の本棚をこのような想いで眺めるのか、と考えるとそれは、一方、気恥かしい本棚でもある。となれば、お気に入りの本ばかり並べて、人に見せても良い蔵書棚を準備している人も居るかもしれない。
じわりしみ出す
 今や、新聞も週刊誌も、教科書も参考書も、メールも電脳がらみのデジタル情報として伝達される時代である。
 インターネットを利用して資料を読んでいるときに、文字情報ばかりではなく、情報としての画像が送られてくることがある。初めは不鮮明な絵図だが、しだいにはっきりと内容が分かるようになる、渾沌の画像から、自分の目標が分かっているかのように、情報がしみ出てくる。
 この様子は、以前読んだ書物に書いてあった説明や、ものの名前が次第次第に思い出され、忘れていたものが、一つの記憶として頭の中でよみがえる様とよく似ている。離ればなれのある考えをつなげて、徐々に一つの考えにまとめる時の経過に似ている。
 しかし、転送されてくるコンピュータの画
面を眺めていても、頭の中に入ってくる情報には、何かの違和感がある。不安がある。やはり、印刷された活字を介してでなければ頭に入らない時がある。だから、最も興味があるものについては、書店に出かけて、本を買う。図書館を訪れて確かめる。頭の中の記憶の本に活字を印刷する。そして自分の記憶の本棚に並べる。
 しかし、その本の内容が、いつかはおぼろげな記憶になってしまうのは、そう先のことではない。が、完全に忘れてしまうわけではない。インターネットの画像と同じで、その記憶は、徐々に思い出せる記憶の本棚にしまっている。そうして安心して忘れることにする。
永い休みには、
 文学、歴史小説、ノンフィクションあるいは専門の参考書など、いろいろなジャンルの本を読もうという余裕の時間がつくれる。しかし、読んでみて、後々まで記憶に残る、これだと思える本は、そう簡単には見つからないかもしれない。
 そこで、永い休みは、乱読のチャンスとばかりに、気楽にとらえる。記憶の本棚に、縦や横に本を並べる時です。後からじわり思い出すための下地を作る。本を探して、人に見せるためではない自分専用の記憶の本棚を埋めつくす。手当たり次第に本を読みふけっていたつもりでも、後から振り返ってみると、何とはなく分類のできる、整理しうる好みの範囲ができ上がっているものです。
 永い休みは、そのような本に出会う時、見つけるときです。お勧めの一冊を人に尋ねるも良し、人の本棚を覗くのも良し。とりあえず、肩の凝らない分野からとりかかってみよう。
 気に人りの一冊を見つけることのできる時間が来る。
                  (薬学部 助教授)

図書館報 P.2 →