No.84.1999.7


現 在 と 昔 の 本

M.K.クラフチック

 在学生が図書館資料の利用法を修得していないことを知った私は、2年生のゼミ生を伴って大学図書館に行った。学生の手の届くところにある知識の山を探検するための道案内をライブラリアンに依頼してあったからである。私は学生とそれほど年が違わない(少なくとも私はそう思っている)が、私が学生の頃はまだ印刷物の目録を利用していた。欲しい本を見つけるために数百ものファイルに目を通すこともあった。しかし、いまではキーワードを入力しマウスボタンをクリックするだけで、本だけではなく雑誌記事まで簡単に見つけることができるのだ。それだけではなく、ネットワークを利用して、必要な文献を直接ダウンロードすることもできる。本当に便利になったものだ。
 変化したのは検索方法だけではない。本そのものも大きく変化した。現在、本はその印刷過程で人の手にほとんど触れられることなく、電算化された印刷機で大量生産される。このようにして印刷された本は読みやすいかも知れないが、これらの本には古い本が持っていた独特の心や魂が欠如しているように思える。印刷機が導入されるまで、本は写字生によって筆写されており、一冊の本を筆写するのに数年を費やすこともあった。ゆえに写字生はその本の中に自分自身の一部を残すことになり、そのような本には魂が宿っているのではないかと感じるのである。グーテンバーグの発明は本を廉価で入手しやすいものにしたが、同時に
筆写された本のミステリアスな雰囲気を奪うことになった。
 しかし、一方で、本はイデオロギーにより迫害されることもある。 Umberto Eco の「薔薇の名前 (The Name of the Rose) 」の殺人本 (killerbook) は、それ自身が邪悪なのではなく、邪悪なのは、言論の自由および学習の自由を抑圧するための道具として殺人本を利用した人間である。実際に、本の迫害は、宗教裁判にまで遡る。コペルニクスに関連する本はカソリック教会により約300年間禁止された。あえてこれを支持した人は Giordano Bruno のように火刑に処せられた。最近では、ナチ時代のドイツにおいて焚書が行われ、共産主義諸国においてはGeorgo Orwell の「1984 (Nineteen Eighty Four) 」および「動物牧場(Animal Farm)」が焚書とされ、当局がこれらの印刷・所有・読書を厳禁した。もし、あなたがこの事柄を過去の事件だと思うのなら、Salman Rushdie と彼の著作である「悪魔の詩 (Satanic Verses) 」を思い出してほしい。
 現代はデータベースシステムの利用により、いつでもどこでも簡単に読みたい本が入手できるようになった。しかし、その本を手にするときに、今ほどの特権を与えられなかった時代があり人がいたことを忘れないでほしい。
                (経済学部 助教授)

図書館報 P.2 →

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