図書館報タイトル画
No.86. 2000.4

情報化時代の図書利用
石田 正浩

 情報技術革新の勢いはすさまじく、コンピュータ、ネットワークということばを聞かない日はないほどです。図書は元来が情報の集まりですから、これらの影響を受けないわけはありません。たとえば、物としての書籍をもたない電子図書館などもそう遠くはない時期に身近なものになるでしょう。福岡大学の図書館でも、端末からキーワードを入力するだけで目ぼしい書籍を調べることができますし、 CD−ROM やオンラインのデータベースを検索すれば、雑誌を記事単位で調べることも簡単にできます。
 かつては、それぞれの学問分野の重要な文献を知っていることが教員の証となる時代がありました。現在では、学生さんががんばって情報収集を行えば、教員との情報格差をかなりの程度縮めることができます。新しい情報についてなら、教員を凌ぐことも可能でしょう。私も学生さんから多くの情報を提供してもらっています。
 しかしながら、このように情報収集が便利になっただけその利用者が賢くなったかといえば、どうもそんなことはないようです。読むべきものが簡単に調べられるようになり、必要な文献が入手しやすくなっても、最後には、ひとつずつ読むという作業が残っているからです。これは手間暇のかかる地道な作業です。人によって理解の深さも異なり、最も個人の能力の違いがはっきりするところです。これを人間的な意味での情報処理と呼ぶなら、私たちの情報処理能力は今も昔もほとんど変わっていないのではないでしょうか。
 コピー機がなかった頃、英文タイプで学術雑誌の記事を打ち込んでいた研究者の話を聞いたことがあります。その研究者は、タイプで打ち込むことは同時に読むことにもなるので、すぐにコピーをとってしまう現在よりも良い面があったと話していました。何でもすぐにコピーにとってしまう現在では、読まずに放っておかれるものも相当あるはずです。書籍に目を移しても状況は似ています。現在は、売れない本がすぐに絶版になってしまうので、重要性が少々低いものまで買ってしまい、本棚には読まれない本がたくさん並ぶことになりかねません。
 必要な文献を効率よく集める情報収集の重要性は誰もが認めるところです。私も図書館の検索システムなどを通して、その便利さを大いに享受させてもらっています。その反面、いつでも手に入る、いつでも読めるという気持ちは、いつまでも読まない状況を生み出します。また、危険なことには、たくさんの文献に取り囲まれると読みもしていないのに自分の知識がそれだけ増えたかのような錯覚に陥ってしまいます。
 図書館が便利になってゆくことは素晴らしいことです。しかし、それを利用する私たちの情報処理能力は、今後ともそう変わることはないと考えておくべきでしょう。情報収集の手段がどれほど進歩しようと本当に必要な能力はそれを消化吸収する力である、そんな気がしてなりません。
(商学部 講師)


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