新収「九州関係の江戸時代文献コレクション」の解説

中野 三敏

 福岡藩を中心とする九州関係の江戸時代文献コレクションを、図書館に購入して貰うことになりました。目玉になるのは江戸時代の後期(十九世紀)に博多で出版された書物群で、それに久留米、佐賀、長崎、熊本といった地域の出版物、及びそれ等の地域の儒者、文人等の著述類を纏めて、全部で七十点ほどにもなります。実は私自身、このコレクションが東京の一古書店の手元にある時から、個人的に見せて貰い、更にその中の一部を利用させて貰って報告、論文を書いたりもしましたが、内容と分量、何れの点からいっても、これは是非とも九州のしかるべき場所に(出来ることなら福岡の地に)置くべきものと思っていたのです。今回こうして当図書館に落ち着いたのは、その利用面一つをとっても、何よりの処置が出来たものと、誠に喜ばしく思はれます。以下、若干その価値について述べてみます。
 江戸時代の日本は、世界にも稀な出版文化の先進国として位置づけられますが、それはあく迄も京、江戸、大坂の三都を中心とするものだったのは致し方の無い所であり、より地方への広がりが見えてくるのは、十九世紀に入ってからのことでした。九州の地もそれに洩れず、各藩の城下において実際に出版が行われるのは寛政前後からですが、その現物の保存・収集といった面は全く立ち遅れてしまい、平成の現在、意図的にそれを行っている所は皆無といえましょう。或いは意識はあっても現物が既に見つからないというのが実状であると言い換えてもよいかと思います。例えば、この福岡藩内で実際に出版を行った本屋といえる存在が、何時から何軒ほどあったのか、又それは何という本屋かなどという具体的な事柄についても、つい先頃、実は今回当図書館の所有する所となった資料を用いて、寛政十二年に薬院の推移軒という本屋が刊行した「農家訓」という本が、その最初のものであった事を明らかにし得たばかりです。
今回のコレクションには、その「農家訓」を含めて博多版だけでも九点、久留米版四点などがあり、その殆どがこのコレクション一点のみの現存という状況です。しかも久留米版の内の一点は、全頁色刷りという、技術的にも極めて注目すべきものであります。このような現物を細かに調査することによって、江戸時代後期の地方文化の実状を確実に認識し、評価することが出来るわけで、その為にも是非意図的にこうした分野の収集に心がける事が大事なのです。しかし今日的状況はかなり悲観的な様子を呈しています。一刻も早く手をつけないと、恐らく後世に大変な悔いを残してしまうことになりましょう。今回の当図書館の処置は、その意味で極めて重要な決断でもあった訳です。
 幸い当図書館には、井上忠先生によって購入された福岡藩儒亀井昭陽の自筆詩稿がありますが、今回購入分の中の「元鳳先生丙戌稿」一冊は紛れもなくその続きに相当するものでもありました。また「小川島鯨鯱合戦」一冊や「西国順拝續栗毛馬」一冊などの写本は、戯作とよばれる俗文芸の一種ですが、いわゆる江戸戯作が、その都会的性格から、どうしても三都に偏在するべきものであるにもかかわらず、こうして地方にも作者が生れ、それが伝播してゆく状況を実証し、地方文化なるものの内容をよく理解し得るようにしてくれるものです。近代モノにも珍しい物が多く、明治六年刊の「太宰府博覧会出品目録」や、明治十四年刊の長崎円山遊廓の遊女評判記「佳景時計」などは大変稀なものであり、大正七年の川端町夏祭謎会の巻物などは、ごく最近の事ながら、すっかり忘れられてしまった、こうした町内遊戯の存在そのものを思い出させてくれる資料として、その価値は絶大というべきものでしょう。
 今後はこのコレクションを中核として、その補充につとめる事が何より大事なことと思います。そうすれば当図書館が福岡もしくは九州地区の地方文化研究の一つの中心的存在となる事は疑いありません。
(人文学部 教授)


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