図書館報タイトル画
No.88. 2001.1

電子化の功罪
能田 均

 ここ数年、私たちを取り巻く情報は、飛躍的に電子化が進んできました。書籍に関する電子化は持にめざましく、この図書館報においても電子ジャーナル、CD−ROM、インターネット関連の話題を多く目にします。そこで、自分と電子化との関わり合いについて、その歴史を振り返って自分にとっての電子化の功罪を考えてみます。
 まず論文の作成が電子化との最初の出逢いかも知れません。15年以上前の話ですが、私の博士論文は、何を隠しましょう手書きでした。汗かきで脂性の私はインクのにじみを気にしながら書いたり、英文タイプライターを一文字一文字確認しながら打ちました。化学物質の構造式もテンプレートとレタリングシートを使って、30分もかけて反応式を一つ描いておりました。何がつらいといっても苦労して作ったのに、文字を間違えていたり、ひどい場合は一行抜けていたりで、書き直さなくてはならなくなったときで、切ない叫び声が研究室に響きました。やがてワープロやコンピューターが身近になり、本当に救われました。早稲田式速記と間違えられたこともある下手な字を書くことも減りましたし、化学式もあっという間にキレイに書けますし、英語のスペルや文法だって直してくれます。これに比べると罪などないようなものですが、しいてあげるなら漢字を書けなくなったことくらいでしょうか?(もちろん年のせいもあります)それと変な文章でもモニターで見たり、きれいな字でプリントアウトされると、まともな文章に見えてくるから怖い気もします。電子化されたデータを色々な意味で丁寧に扱いたいものです。
 次に、思い浮かぶのは電子手帳です。私は、基本的に機械に圧倒的に弱く、ビデオの録画を頼まれても成功率4割くらいです。イチローなら誉められもするのでしょうが、最近私はビデオを扱わせてもらえなくなりました。
それはともかく、電子手帳と呼ばれたものから最近の PDA と呼ばれるものに亘って数えれば15台程買いました。そして、ほとんど活用されていません。辞書があり、スケジュールやアドレスなどが管理でき、パソコンともデータを共有でき、これ以上ないほど便利そうです。しかし、スケジュールやアドレスを入力した頃には机の奥に追いやられてしまい、いつの間にか電池がなくなって入力データもなくなってしまうのです。とっさの入力の容易さや一月や一年を一覧できる紙の手帳には、やはりそれらに優る魅力がありました。でも、新機種が発売されたら、きっと買って、ひとりニヤニヤしながら活用されることのないデータを入力しているのだと思います。
 次は10年程前になるかと思いますが、インターネットの導入でした。当時はまだ学術的なネットワークで、今のように誰もが楽しめるものではありませんでした。商用プロバイダが設立され始めた頃も、私自身、その用途や実用性に関して懐疑的でした。しかし現在、メール、資料収集、ジャーナル閲覧等なくてはならない存在になりました。目的を持って利用すれば学術的にも非常に多くの情報を与えてくれます。昔なら、高額であった文献や特許の検索も無料で出来るようになり、図書館に出向いて重い本をひっぱりだしてコピーすることも減りました。それでは本はもう全部電子化して、重い紙の本は要らないのでしょうか?以前の図書館報でも書かれておられましたが、やはり紙の本も大事だと思います。私は、新刊の学術雑誌を目的もなくペラペラめくるとき、思いがけないアイデアが浮かんで来るものだと思いますし、本文よりも何倍も有益な広告だってあります。電子ジャーナルが紙の雑誌をめくる感覚で読めるようになる時期も近いと思いますが、それまでは時間を見つけて図書館で雑誌をめくりたいと →(次頁へつづく)


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