[教員寄稿]図書館の思い出 商学部教授 渡辺 剛

 私は、福岡大学商学部の出身なので、私の図書館の思い出の大半は福岡大学中央図書館の思い出である。といっても、今の新図書館の前の旧図書館の思い出である。今からおよそ35年前、1980年頃の話である。私はその当時中央図書館の開架式の図書室をよく使っていた。当時は、冷暖房が効いておらず、特に夏は非常に暑かった。それに比べると今の図書館は夏も冬も快適である。おそらく教室よりも快適と思われる。
 それ以外にも今の図書館と昔の図書館とではいくつも違いがある。例えば、文献検索の方法が大きく異なる。昔は、卒業論文を書くために文献を集めようとすれば、専門誌の12月号または1月号に付いている年間の目次を見て使えそうな論文を選んで借り出してコピーしていた。10年分調べようと思ったら、10年分の12月号をまず借り出して調べなければならなかった。あるいは、経済文献目録という本を見て、論文のタイトルから内容を類推して雑誌を借り出して読まなければならなかった。今は、図書館ウェブサイトにある外部データベース(magazineplus、CiNii Articles等)を使えば、何十年分の論文をキーワードで検索でき、ものによっては、借り出さなくてもダウンロードまたは読むことができる。これは非常に大きな時間の短縮となる。新聞記事(日本経済新聞)の検索も今では簡単に検索し、印刷することができる(データベース:日経テレコン21)。
 また、今では図書館の空席状況も図書館ウェブサイトで確認することができ、昔のように空席を探して回る必要もなくなった。DVDやブルーレイ等の映画ソフトも以前よりは格段に充実し、視聴環境も良くなった。iPadの館内貸出まで行われている。大学院生のライブラリー・アシスタント(LA)がいて、論文やレポートの書き方まで教えてくれる。昔の図書館ではあり得ないほどサービスが充実している。
 しかし、一点、今の図書館には大きな欠点がある。それは、書庫に入れないことである。昔の図書館は、院生・教員は自由に書庫に入ることができた。学部学生もゼミの教員の許可を得れば入ることができた。ところが、今の図書館は自動書庫となったために、書庫に入ることが物理的に不可能となっている。書庫に入ることができないと何が問題かというと、使えるかもしれない文献を全て出してもらわなければならないので非常に手間がかかるという問題がある。

書庫に入ることができれば、実際に見て使えるか使えないかをすぐに判断することができるので借り出す手間を省くことができる。また、芋づる式に文献を探すのにもすぐに手にとって調べられるので余計な手間がかからない。
 さらに、書庫に入ることができれば、偶然、重要な文献を発見することもあり得るが、入れなければそれはほとんど不可能となる。例えば、知的財産権関連の文献を探すときに通常は法学の棚を探すが、実は工学の棚にも関連する文献がある。そこで偶然に使える文献を見つけることもある。あるいは、使えなくても日頃目にすることのない他の研究領域の本を手にする機会が増える。ピンポイントで検索し、借り出していたのでは出会わない本があるのではないか。図書館が新しくなり、何もかも旧図書館よりも良くなったようであるが、少なくともその点だけは昔の図書館の方が優れていたといえよう。
 自動書庫は、効率的で先進的なシステムであるが、書庫に入ることができないというのは、利用者にとって大きな不幸である。私が初めて書庫に入ったのは、大学院生の時であるが、その時の高揚感、わくわく感は今も忘れられない。書庫は、人の知的好奇心を大いに刺激してくれるものである。今となっては書庫に入ることができないとすれば、せめて開架式のフロア(閲覧室)にできるだけ多くの本を置いて充実させて頂きたい。そうすることによって、利用者は、自分の専門領域以外の領域に触れる機会が増え、知的好奇心がより一層刺激されるものと思われる。
 それにしても、あの高揚感を経験できないというのは本当に残念である。

[自動書庫]自動書庫とは、出納作業がシステム化された巨大な書庫で、中央図書館地下にあります。