[教員寄稿]古書店とバーチャル書庫 工学部教授 鈴川 一己

 毎年秋晴れのすがすがしい日になると、京都の百万遍にある知恩寺の境内を思い出す。11月初旬に開催していた古本まつりの会場である。調べてみるとまつりは続いており、今回で丁度40回目とある。ならばあの頃はまだ一桁の開催回数だったことになる。当時京大の周囲には沢山の古書店があったので、東京神田の有名な古本まつりを真似たのであろう。大阪の学生だった私は阪急電車に乗り頻繁に京都へ出かけた。その想い出の一つである。
 古書店へ行くようになったのは大学生になってからである。一足早く大学に入った友人に連れられ訪れたのが最初であった。銀閣寺近くの古書店には本棚に入りきらない膨大な本がうず高く積んであった。その山の中には通常の書店では見かけないような本が沢山あり、未知の世界が広がっているように思えた。カバーや箱が茶色に焼けた本を手に取り、安くて面白そうな本を探していた。但し、興味のある分野は理工系ではあったが。それ以来、古書店訪問が趣味になった。今から思えば変わった学生だったのかもしれない。
 通常、読書が趣味の人は小説を中心に読むのであろうが、私は大学に入るまでまともに小説が読めなかった。というよりも国語自体が嫌いだった。夏休みの読書感想文なんてとんでもない。一方、小学校入学前後に買ってもらった昆虫と化学実験の図鑑と家にあった原色百科事典だけは、背表紙が取れバラバラになるくらい、繰り返し読んだ(眺めた?)。以来、今も変わらずこの延長線上を歩んでいる。
 こんな私であったが、大学1年の夏休みに転機が訪れた。田舎に帰省した折、あまりに暇だったため、たまたま家にあった川端康成の『古都』を手に取ったのである。読んでみると、京都の風景が目に浮かび、止まらなくなった。漸く小説の面白さに目覚めたのである。ならば夏休み中に川端の本を全部読もうと決心し、書店で入手できる文庫本を買って読んだのであった。この経験以降小説に対する苦手意識はなくなった。結局、小説を読むには興味を持つことと想像力が必要だと理解した。出版社(図書館)の宣伝ではないが、学生時代の一時期、読書三昧で過ごしてみるのもお奨めである。

 同じ頃から歴史物も読むようになった(歴史も国語の次に嫌いだった)。吉田松陰、高杉晋作、…、中高生時代にほとんど扱わなかった幕末物である。中でも司馬遼太郎の『花神』は日本の理工系技術者の先達を描いているように思え、すぐさま大村益次郎の墓(山口市鋳銭司にある)に参るほど、大いに感激した。文中に日本語による科学技術教育の原点およびその有効性を垣間見たからである。ちなみに、この視点から最近書かれた松尾義之の『日本語の科学が世界を変える』(筑摩選書)は教員にもお薦めできる本である。近年、日本人のノーベル賞受賞が続いている理由が見いだせるかもしれない。
 さて、福大に着任した頃、工学部図書館の書庫(5号館別館にあった)をのぞいたところ、久しぶりに古書店を訪ねたような気分になった。理工学が最も元気だった高度経済成長真只中の1960年代(工学部設立の頃)の図書が沢山あったのである。特に、ずらりと並んだソ連当時の理工系入門書シリーズを見つけた時は、こんな本もあったのかと嬉しくなった。しかし、その書庫内の本も本館の建て替えにより全て自動書庫に納められ、背表紙を見て探す楽しみがなくなったのは残念である。もう文献に引用されていないような面白い本を見つけることはできない。しかし、手がないわけではない。ヒントは筑摩書房のホームページにある。そこでは新刊書籍の背表紙画像を本棚にあるように並べている。同じように自動書庫の図書も背表紙画像を分類番号順に並べ、バーチャル書庫にする。容量が大きくなる表紙画像は不要。こうすれば開架図書と同じ感覚で、タブレットにより指先一つで書庫内を散策できるのだが…。古書好きな人間のぼやきである。

民家の裏山の松林の中に隔離されたように祀られている大村益次郎の墓。最初に参拝した30年前に比べ道が整備されていた。

ご紹介いただいた図書は図書館に所蔵しております●「古都」は『川端康成/川端,康成』(中央自動書庫)に収録●『花神/司馬,遼太郎(1923-1996)』(中央4F図書)●『日本語の科学が世界を変える/松尾義之著』(工学部分室開架)