[教員寄稿]医学図書館にお世話になって46年 医学部教授 兼岡 秀俊

 大学の医学専門課程に進学して46年、今から考えるとエッと思えることもいくつかありました。今後の医学図書館の方向を考える上で、参考になるかも知れません。

学生時代。 当時の医学図書館の開館時間は朝9時~夕方5時。オリエンテーションなど無く、自分できちんと使える人たちだけのための、しきいの高い空間でした。学生は、レポートを書くために時々利用する程度。コピーは1枚50円。1日3食を生協食堂で205円で済ませることができた時代でした。論文のコピーや、友人のノートのコピーなどは、考えられないことでした。必要な文献は借ります。返却遅れには、入館証にパンチで穴が開けられて、穴の数が一定数に達したらその年度の借り出しは停止。このような厳しいペナルティ制度は、以後の図書館には無かった。

研修医時代。 当時は、医学中央雑誌は今ほど整備されていませんでした。文献探しは専らIndex MedicusでJap(和文)を頼りにしました。和文は1年以上遅れますし、必然的に見落としが多かったはずですが、それでもIndex Medicusに載っていることで、その雑誌の質が担保されている安心感はありました。

大学院生時代。 学生、研修医には開架の書籍で充分でしたが、院生になると英文資料を漁りだしました。分厚いIndex Medicusの項目別、年代別に並んだ表題を、1項目ずつ目で追ってゆく。必要な項目を書き写す。論文を借り出す。コピー代にアルバイト代をつぎこむ。研究の一段階一段階、あるいは総説の下請けが回ってきたとき、一日中書架の谷間に座り込んで、文献を探しました。今では考えられない作業でしたが、実験がどうしてもうまく行かず、そんな時に限って教授やオーベンが探しているらしい時は、よい隠れ家でした。

スタンフォード大学。 まずびっくりしたことは、開館時間が夜9時まで。ところが、金曜日だけは夕方5時まで。金曜日の夜は、多くの学生はパーティーで忙しく、図書館に行くどころじゃない。一方で日曜日は真夜中12時まで。週明けのレポート提出に焦る学生のためだと聞きました。
 今でも良い制度だと思うことがあります。年2回の蔵書の販売。古くなった図書を、一斉に売り出すのです。覗いてみるとMethods in Enzymology百数十巻全巻の一挙販売。

当時の免疫学を含む生化学実験法のバイブルです。恐る恐る1巻だけの購入を希望しました。快く売ってくれました。図書館の小さな講義室に、日本人が相次いで講演に来ました。マサチューセッツ工科大学の利根川進教授と京都大学の本庶佑教授でした。二人は研究テーマと研究手法がほとんど同じで、免疫の多様性の研究の世界の第一人者でした。その時の講演は、利根川先生がうまかった。二人が時を同じくして講演に来た理由は、スタンフォード大学には多くのノーベル賞受賞者がいることで、その後利根川氏はノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

ミズーリ大学コロンビア校。 ミズーリ州コロンビア市は、アメリカのど真ん中、人口7万人の田舎町で、大学しかありません。そのような場所なのに、そのような場所だからこそprimary investigator達の研究活動に支障のない蔵書数と設備を誇っていました。スタンフォード大学留学から9年後でしたが、特に検索技術が進歩していました。薄暗い書庫でIndex Medicusと格闘することもありませんでした。

聖マリアンナ医科大学。 聖マリアンナ医科大学の開設は、福大医学部の開設とほぼ同時期です。設備は福大がはるかに充実しています。ただ感心したのは、聖マリには、周囲を気にせず資料を広げられる大きなテーブルを持った個室や、グループ研究ができる、即ち声が出せる、部屋が何室か整えられていたことです。

 以上、私の個人的な経験の中で、福大図書館に参考になることは、スタンフォード大学等の図書館でやられている蔵書の整理販売です。かねてより欲しいと思ってきた図書を購入できるという個人の利益以上に、図書館にとっても、新しい収納スペースの確保や大学の収入になることです。二つ目は、図書館は個人だけの知識の獲得の場所でなく、知識の共有の場、グループの中での知識の昇華の場とする、即ち聖マリで見られたグループ研究の場となりうることです。
 ITの発達に伴って図書館は、大きく変貌しつつあります。情報の電子化に伴い、書物さえなくなりつつあります。保存したはずの電子情報さえも、OSの更新やIT機器の進歩に伴い、開けなくなってしまうこともよく経験することです。図書館には、まだ多数残存するアナログ人間のためのサービスも遺して頂きたい。