[教員寄稿]祖母のくしゃみ、母の鼻息 薬学部講師 安河内 友世

 ふらりと入った雑貨屋さんでのこと。お洒落に飾ってあるレコード盤中央の穴を覗き込み、「これなぁに?」と見上げる子ども---私も自らレコードに針を落とした経験はほとんどないが、針を落としたときにレコードが鳴らす、バチバチッというノイズの風情だけは忘れられない。

 私が生まれた頃は、すでにレコードから録音可能なカセットテープに画期的な変遷を遂げていた。幼い頃はしばしば、大好きなアイドルの歌声をテレビやラジオから入手するために、周囲の人に沈黙を誓わせ、カセットデッキの再生ボタンと録音ボタンを同時に押したものである。しかし、多くの場合、アイドルの歌声とともに、些細な生活音が録音されてしまい、ときには無邪気な祖母のくしゃみも加わって、臨場感満ちた多重奏が出来上がっていた。
 眠りにつくときは、カセットテープから流れる(母が昼間に録音してくれていた)「スプーンおばさん」シリーズを聴くのが大好きだった。そこには、母の声だけでなく、かすかな鼻息、ページを捲る音なども録音されていて、すべてが温かかった。
 不思議なことに、当時主役ではなかったレコードのノイズも、祖母のくしゃみも、母の鼻息も、私の心の深いところに今もなお活き活きと刻まれている。
 今では、様々な音が完璧にデジタル化され、私的に楽しむ場合にも、厳選された音源のみを楽しむことができるようになった。しかし、なんだか物足りない。

 この春、父から百科事典(世界大百科事典、平凡社、全26巻)を譲り受けた。
 父の書斎に鎮座していた黒くて分厚い本。たった一度、その中のどれかを押し花のために拝借した記憶くらいしかなかった。裏表紙には「初版発行1965年8月10日」とあり、私が生まれる10年以上前に父が購入したのだと思うと、私の知らない父の歴史を垣間見られるような気がして、ついつい読み始めてしまった。
 昔の百科事典も、読んでみるとなかなか面白い。何千人という専門家たちによって必要十分に推敲された人間知性のかたまりである。しかも私が手にしているのは、1965年時点での歴史。『元号』の欄には、「平成」という文字はない。

世界地図では、ソビエト連邦が頁一杯に広がっている。1969年に人類が初めて月面に立ったこと(アポロ11号)など、知る由も無い。至当のことであるが、歴史的事実、普遍的真理などの記載は今もなお正しい。しかし、新しい刊に比べると、遠慮のない率直な表現がなされていて、逆に新鮮に思えてくる。『阿』から始まり、25冊経由して『ワンワン説』までのタイムトリップ。
 気づけば、百科事典の文字よりも、そこに記載されていない自身の知識や記憶を掘り起こして、思い出に耽っていた。例えば、『フアマンガ』の次は『ファミリー・ネーム』---アレ?『ファミリーコンピュータ(ファミコン)』は?あら、そう言えば、発売は小学生の頃だったかな。---といった感じで。文字通り“行間を読む”である。

 現在、多様なデジタル百科事典が普及している。
 めまぐるしく情報が古くなっていく世の中で、随時更新可能なデジタル版の優位性は否定できない。また、検索のしやすさもデジタル化の恩恵と言えるが、これについては少し気をつけなくてはならない。
 全ての知識の引き出し方がデジタル化すると、おのずと周りの風景が切り捨てられてしまう。祖母のくしゃみや母の鼻息のような、一見主役ではないと思っていたものが、意外と心の大切な部分にこびりついて温かい思い出になっていたりするものである。

 たまには、文字通り“行間を読む”アナログ生活をお勧めしたい。