東日本大震災から7年 法学部教授 櫛田 久代

 今春は天候にも恵まれ、長く桜の花を楽しむことができました。桜の季節になると「春を恨んだりはしない」という言葉が頭の中でこだまします。池澤夏樹氏が東日本大震災についてつづったエッセイ集のタイトル(『春を恨んだりはしない―震災をめぐって考えたこと』中央公論社、2011年)です。このタイトルの言葉は、ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」(沼野充義訳『終わりと始まり』未知谷、1997年)の詩の一節から取られています。「またやって来たからといって 春を恨んだりはしない 例年のように自分の義務を 果たしているからといって 春を責めたりはしない  わかっている わたしがいくら悲しくても そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと・・・」と始まる詩の一節からです。シンボルスカは、夫を亡くした自分の悲しみとは無関係に季節が巡りくることを「春を恨んだりはしない」と謳いました。2011年4月初旬、大津波の爪痕が生々しかった被災地に入り、変わり果てた沿岸地帯、多くの死者と生き残った人々の悲しみや喪失感に接した氏は、「自然は人間に対して無関心だとわかった上で、それでももう少しなんとかしてくれてもよいのではないか、という思いを捨てることができない。」と記します。これは、当時多くの人が共有した思いであったと思います。人が悲しみに打ちひしがれ絶望の淵に立たされていようと、自然は自然の摂理で動きます。春になれば、草花が芽吹き、満開の桜は美しく、木々は新緑をたたえます。「春を恨んだりはしない」という言葉は、震災後の春に感じた理不尽さとともに、桜の季節になると思い出されます。
 ところで、池澤氏のエッセイでシンボルスカの詩の一部に触れたときは、人生の中でかけがえのない人を亡くした喪失感を無慈悲な自然と対比させて謳った詩だと受け取りました。しかし、その後、詩集を取り寄せ「眺めとの別れ」を読むと、詩人の意図を勘違いしていたことに気づきました。シンボルスカは、過ぎ去る時間の中で喜びも哀しみも含め人生を達観する心情を謳っていたからです。詩は次のように終わります。「・・・ときにすばやく、ときにのろのろと 岸に打ち寄せる波  わたしには素直に従わないその波に 

変わることを求めようとは思わない  ・・・・ただ一つ、どうしても同意できないのは 自分があそこに帰ること 存在することの特権―― それをわたしは放棄する  私はあなたよりも十分長生きした こうして遠くから考えるために ちょうど十分なだけ」と。池澤氏は詩の最初の部分を引用し東日本大震災への自らの心情を代弁させていたのですが、「眺めとの別れ」は、決して感傷的な詩ではありませんでした。むしろ、喪失を抱えつつも全てを受け入れて生きていく毅然とした強さを謳う極めて理性的な詩でした。
 2011年3月11日、三陸沖の震源地から300キロ以上離れた首都圏も震度5強の強震に襲われ沿岸地帯では液状化等大きな被害がでました。当時私は千葉県の大学に勤務していました。在学生の無事は確認されましたが、県北部の沿岸部を襲った津波で実家が被災した学生も少なからずいる状況でした。そうした中、福島第一原発事故後の電力不足の影響で、東京電力管区では、3月14日から計画停電が始まりました。日々のスケジュールは、計画停電に合わせて組まざるを得ず、大学の事務作業が一年間で一番忙しい年度替わりの時期、地震で被害を受けた施設の復旧(書架から落下した書籍の山の図書館等)も重なり、大学は混乱状態でした。地震の再来懸念といつ終わるかわからない計画停電の中で卒業式は中止となり、当面の課題は新年度をどう迎えるかでした。実際問題として停電による断水で上階のトイレは使えず、エレベーターは使用停止、教室のマイクが使えない代替措置の検討等と課題山積でした。中でも最大の問題は、大地震発生の際に学生の安全を守れるのかでした。7年前の春、首都圏の大学は入学式を3週間前後遅らせました。幸いにも計画停電は4月8日で収束し、再び東日本大震災規模の強震に襲われることはありませんでしたが、不安と緊張の日々を送っていました。春は私の中で東日本大震災と結びついています。あれから7年が経ちます。しかしながら、東北の被災地の復興は道半ばです。
 本学に赴任したばかりの2016年4月16日、熊本地震が発生しました。福岡への引っ越しと新学期と地震とで2年前の春の記憶はあまりありません。