読書の思い出 商学部教授 川合 研

 本を読むことは多いが、そのほとんどは仕事に関するものである。図書館は、専門的な書物や資料をたくさん所蔵しており、これまで仕事の上で大いに利用してきた。福岡大学図書館だけでなく、私の専門領域の関係で、アメリカの大学図書館や歴史資料館もたびたび訪れた。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校のゴルダ・メイア・ライブラリーやモンタナ歴史協会、その他にもいくつかの大学図書館や歴史資料館を訪れ、貴重な資料を集めることができた。
 仕事に必要な文献を探して読むことは夢中になれることであって、それ自体楽しいことである。ただ仕事につながっているため、この文献から有益な知見が得られるだろうか、自分の考えを裏付けるような内容があるだろうかなど、いろいろ考えてしまう。そのため、書物を読むといっても、純粋に読書を楽しむというよりも、仕事上の作業をしているという感覚がどこかにあるのも事実だ。
 それでは仕事と関係なく、本を読むこと自体を楽しむという、本来の読書の楽しみはどのようなものだろうか。私の場合、小学生から中学生にかけて、少年少女向けのいろいろな本を親に買ってもらって、夢中で読んだことがそれにあたると思う。
 今でも、家の本棚にそのころ読んだ本がいくつか並んでいる。講談社から1950~60年代に発行された、少年少女世界文学全集のうち、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』と『海底二万里』、ジュール・ルナールの『にんじん』、アンリー・ファーブルの『昆虫記』を所収した第28巻は愛読書であった。特に、15人の少年が太平洋の無人島で2年間サバイバル生活を強いられる『十五少年漂流記』と潜水艦ノーチラス号を操るネモ船長の海洋冒険譚『海底二万里』は少年少女の心をつかむ傑作であり、繰り返し読んだ。夜寝るとき、適当にページを開いて読みだし、いつのまにか寝てしまう。そんな読み方をしていた。他にも、同じ全集では、第43巻の『三国志』と『水滸伝』はよく読んだ。『三国志』は劉備、関羽、張飛の3英雄が力を合わせて敵と戦う国盗り物語である。軍師諸葛孔明の活躍も際立っていた。『水滸伝』は、108人の豪傑が繰り広げる痛快時代劇で、こんな面白い読み物は他になかなか見当たらないと思う。また第46巻の『今昔物語』『平家物語』『太平記』も繰り返し読んだ。
 講談社の全集以外にも愛読した書物はある。真っ先に思い出すのは、石井桃子訳の『ギリシア神話』(1958年刊)だ。当時この本はあかね書房から出ていたが、

今はのら書店から復刻版が出ている。本棚を探しても、私が持っていたあかね書房のものは見当たらなかったので、懐かしさもあって、改めて、のら書店版を購入した。ヘラクレスの12の冒険、オデッセウスの冒険、トロイア戦争など、神々と人間が繰り広げる大叙事詩である。石井桃子訳は文章が優れていることはもちろんであるが、なにより挿絵の魅力が記憶に残っていた。古代ギリシャの壺に描かれた人物などの線描画の味わいを感じさせる挿絵である。描いたのは富山妙子という画家であることを今回知った。
 1956年に新潮社から刊行された日本少国民文庫第1巻の山本有三編著『心に太陽を持て』は愛読書というよりも、忘れられない本である。先に触れた長編物語と異なり、短編を集めたアンソロジーだ。その中でも特に覚えているのは、「一日本人」という実話に基づく短編である。20世紀初めのパリが舞台で、荷馬車を引く馬が雨に濡れた石畳に蹄を滑らせて転倒した。起き上がろうとしても蹄が滑り、起き上がれない。馬はだんだん弱っていき、御者は困り果てている。そこに小柄な紳士が現れ、自分の上着を馬の蹄と石畳の間に敷き、一声かけ声をかけて手綱を引くと馬は胴震いして一気に起き上がることができた。御者が礼をいうと、その紳士は「ノン、ノン」といって名前も名乗らず立ち去った。紳士のそのときのかけ声は紛れもなく日本語であった、という話である。子供心にかっこいいと思ったが、愛国心を感じるような年頃ではなかった。ただ、終戦後10年ほどたったときに出版された本の中で、この話を選んだ山本有三の意図は今振り返るとよくわかる。自信を失った日本人に誇りを取り戻させたかったのだろう。
 これら以外にも、岩波少年文庫の『クオレ』や『埋もれた世界』も内容はあまり覚えていないものの、子供時代に読んだ本である。手元に見当たらないので物置を探してみようと思う。

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