グ リ ム 兄 弟 年 譜 |
|
ヤーコプ・グリム |
ヴィルヘルム・グリム |
年代 |
関 連
事 項 |
同 時 代 の 出 来 事 (世界/日本) |
1月4日 行政司法官フィリップ・ヴィルヘルム・グリムと彼の妻ドロテーアの次男としてハーナウで生まれる |
|
1785 |
|
|
|
2月24日 ハーナウで生まれる |
1786 |
|
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 プロイセン王となる |
|
|
ワット、蒸気機関車(ピストン桿)発明 |
|
|
1787 |
4月 4男カール生まれる |
アメリカ合衆国憲法制定 |
|
|
(天明7)松平定信、老中となる(寛政の改革) |
|
|
1788 |
12月 5男フェルディナント生まれる |
カント「実践理性批判」刊行。 |
ヤーコプ(4) ヴィルヘルム(3) 彼らの伯母シュレーマーのもとで読み書きを学ぶ |
1789 |
|
フランス革命が勃発、バスティーユ襲撃。人権宣言が発せられる |
|
アメリカ合衆国のジョージ・ワシントンが第1代大統領となる |
|
|
1790 |
3月 6男ルートヴィヒ生まれる |
|
|
|
1791 |
ハーナウからシュタイナウへ引っ越す |
シラー「三十年戦争史」刊行 |
|
|
父シュタイナウの行政司法官となる |
|
|
1792 |
|
パリコミューン、フランス軍マインツ、フランクフルト占領 |
|
|
1793 |
3月 長女シャルロッテ生まれる |
フランス王ルイ16世処刑される |
|
|
1796 |
1月 父肺炎のため44歳で死去 シュタイナウの官舎を出る |
ロベスピエール処刑される |
|
|
ヤーコプ(13) ヴィルヘルム(12) カッセルの中等高等学校に入学 |
1798 |
|
フランス軍ローマを占領 |
|
ナポレオンのエジプト遠征 |
マールブルク大学に入学(17) |
|
1802 |
|
ナポレオン終身執政官となる |
サヴィニーとの出会い |
|
|
|
|
マールブルク大学に入学 |
1803 |
サヴィニー教授「占有権論」発表 |
ナポレオン ドイツへ干渉 |
|
弟のフェルディナントとルートヴィヒ、カッセルへ行く |
フランス、北アメリカの植民地を放棄 |
|
|
1804 |
|
ナポレオン フランス皇帝になる |
パリでサヴィニー教授の研究助手を勤める |
|
1805 |
母と妹シャルロッテ、カッセルに引っ越す |
トラファルガー海戦起こる |
ヤーコプ(20) ヴィルヘルム(19) 古代ドイツ研究を開始 |
|
弟ルートヴィヒ 絵の学校に通う |
カッセルでヘッセン侯国戦争会議の秘書となる |
法律の国家試験に合格する |
1806 |
この頃からメルヒェン採取開始 |
ナポレオン解放戦争開戦 「神聖ローマ帝国」の解体 フランス軍、カッセルを占領 |
カッセルへ戻る |
同職を退任 |
|
1807 |
妹シャルロッテの友人ヴィルト家のグレートヒェンからメルヒェンを聞く |
ドイツ全土がナポレオンの支配下に入り、ヘッセン国が合併される ヴェストファーレン王国成立 |
7月 ヴェストファーレン王国ジェローム王の宮廷司書となる |
|
1808 |
5月 母死去 |
ナポレオンに対するスペイン反乱 |
|
フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」刊行 |
|
アルニム、ブレンターノと出会う |
ゲーテ「ファウスト」第1部刊行 |
|
心臓病のためハレで療養 その後、ベルリンのアルニムを訪問 |
1809 |
弟ルートヴィヒ ミュンヒェンの美術学校に通う |
|
|
12月 ワイマールのゲーテを訪問 |
|
|
|
|
|
|