ヤーコプ・グリム |
ヴィルヘルム・グリム |
年代 |
関 連
事 項 |
同 時 代
の 出 来 事 (世界/日本) |
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ヘンリエッテ・ドロテーア・ヴィルトと結婚(39) |
1825 |
「子供と家庭の童話」の小さい版ライマー出版社より刊行 |
ロシア皇帝ニコライ1世、デカブリストの反乱鎮圧 |
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ルートヴィヒ、バイエルン国王となる |
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イギリスに鉄道が開通する |
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(文政8)異国船打払令が出される |
「ドイツ文法」第2巻刊行 |
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1826 |
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詩人ハイネ来訪 |
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1827 |
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「ドイツ法古事誌」刊行 |
「ルーネ文字の文学について」「ルドルフ伯」刊行 |
1828 |
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ロシア・トルコ戦争起こる |
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1月 次男ヘルマン生まれる |
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(文政11)シーボルト事件起こる |
ヤーコプ(44) ヴィルヘルム(43) カッセル選帝侯国の図書館司書を退職、ゲッティンゲン大学へ移る |
1829 |
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ギリシア独立 |
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「ドイツ英雄伝説」刊行 |
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ゲッティンゲン大学司書兼正教授に就任 就任講演「郷土愛について」 |
ゲッティンゲン大学図書館の司書となる |
1830 |
グリム一家ゲッティンゲンに引っ越す |
パリで七月革命が起こる |
「ヒルデブラントの歌」刊行 |
ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム退任 |
「ドイツ文法」第3巻刊行 「自叙伝」を書く |
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1831 |
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カッセル憲法制定 |
重病になる |
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ユゴー「ノートル・ダム・ド・パリ」刊行 |
ゲッティンゲン大学助教授となる |
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スタンダール「赤と黒」刊行 |
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1832 |
弟ルートヴィヒ 結婚 |
(天保3)天保の大飢饉起こる |
ハノーファーの宮中顧問官の称号を得る |
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1833 |
妹シャルロッテ 死去 |
ハノーファー国王、民主憲法制定 |
ベルギーへ旅行 |
「フライダンクの慎み」刊行 |
1834 |
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「ラインハルトぎつね」刊行 |
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「ドイツ神話学」「タキトゥスの「ゲルマニア」他」(編)刊行 |
ゲッティンゲン大学の正教授となる |
1835 |
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ニュルンベルク・フュルト間にドイツ初の鉄道開通 |
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モールス、電信機を発明する |
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アンデルセン「即興詩人」刊行 |
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「ローゼンガルテン」刊行 |
1836 |
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ヤーコプ(52) ヴィルヘルム(51) 「子供と家庭の童話」 第3版 ディーテリヒ出版社より刊行 |
1837 |
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ヴィクトリア 大英帝国の女王となる |
ハノーファー国王エルンスト・アウグスト2世の憲法違反に反対し、ゲッティンゲン大学七教授事件が起こり、追放処分を受ける |
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英中間で阿片戦争が起こる |
カッセルに移住 |
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「ドイツ文法」第4巻刊行 |
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チャール・ディケンズ「オリバー・ツイスト」刊行 |
「彼の免職について」「10世紀と11世紀のラテン語の詩」刊行 |
「ローラントの歌」刊行 |
1838 |
8月 「ドイツ語辞典」編纂計画発表される |
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10月 一家でカッセルに移り住む |
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「低ラインのヴェルンヘル」刊行 |
1839 |
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ヤーコプ(55) ヴィルヘルム(54) 「子供と家庭の童話」 第4版 刊行 |
1840 |
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ヤーコプ ヴィルヘルム ベルリンへ招聘される |
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ハノーファー憲法制定 |
12月8日 プロイセン国王に謁見 |
「コンラート・フォン・ヴュルツブルク、金細工師」の再版(初版1816年)刊行 |
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フリードリヒ・ヴィルヘルム4世、プロイセン王となる |
「慣習法令集」第1、第2巻刊行 |
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ヤーコプ(56) ヴィルヘム(55) ベルリン大学正教授として就任講義を行う ベルリンへ移住 |
1841 |
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ホフマン「ドイツ国家」刊行 |
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「コンラート・フォン・ヴュルツブルクのジルヴェスター」刊行(55) |
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フォイエルバッハ「キリスト教の本質」刊行 |
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(天保12)水野忠邦の天保の改革が始まる |
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