15.高良玉垂宮略縁起(内) こうらたまたれぐうりゃくえんぎ

半紙本三巻三冊 権僧正傳雄(ごんそうじょう ・でんゆう)撰 寛政元年(1789)成刊 
 板元未詳

所蔵情報(15.高良玉垂宮略縁起(内)こうらたまたれぐうりゃくえんぎ)
内容写真(高良玉垂宮略縁起(内)こうらたまたれぐうりゃくえんぎ) 内容写真(高良玉垂宮略縁起(内)こうらたまたれぐうりゃくえんぎ)

 巻頭に山内全景図二枚と武内宿祢(たけのうちの・すくね)の新羅進攻図と、同じく宮中探湯の儀式の四図を四丁半に示し、その後に二十二丁に及ぶ略縁起を置く。内容は専ら祭神を武内宿祢とする所以を「旧事本紀」(別名「旧事大成経」)によって説くものだが、神宮皇后の三韓攻めに随った宿祢が、住吉の化神から乾満の二珠を安曇(あずみ)の磯良(いそら)に借り受ける事をすすめられる条りなどは「宇佐八幡縁起」に因る旨を記している。
 「旧事本紀」は、黄檗(おうばく)僧潮音(ちょうおん)の偽作として、現在では歴史資料として用いられる事はないが、寛政の当時迄は信奉者は極めて多く、所謂太子流神道として流布したので、本書撰者傳雄の如きもその一派をなしていたものでもあろう。
 傳雄は高良山五十五代座主の職にあり、本書撰述の後、寛政八年(1796)には久留米の俳人岡良山(おか ・りょうざん)と図り、山内新清水観音堂の傍らに芭蕉を祭神とする「桃青霊神社」を建立するなど五十代座主寂源に次いで文事をよく解した人物である。
 本書の板木は久留米で作られたものに違いあるまいから、今も高良宮に蔵されているのではないかと思われるが未詳。