6(A).山園雑興(外) さんえんざっきょう

半紙本一巻一冊 月形鷦□(つきがた ・しょうか)著 天保三年(1832)刊 
 江戸 山城屋佐兵衛(やましろや ・さへえ)
 筑前博多麹屋番 萬玉堂次助(まんぎょくどう ・じすけ)板

所蔵情報(A.山園雑興(外)さんえんざっきょう)
表紙写真(A.山園雑興(外)さんえんざっきょう) 内容写真(A.山園雑興(外)さんえんざっきょう)
 本書は黒田藩儒月形質(つきがた ・すなお)の漢詩集で、流行の田園詩百首を一部に纏めたもの。細かく述べれば、文化十四年(1817)の退役後に構えた山荘での文政元年(1818) の十五首を「山園雑興」、更に文政四年(1821)迄に得た五十首を「続山園雑興」、更に同七年(1824)迄に得た三十五首を「山園余韻」 と題した三部作を一冊に仕立て、(A)本では頼杏坪(らい ・きょうへい)、菊池五山(きくち ・ござん)といった 当代詩壇の錚々に乞うた評文を附刻し更に藩儒竹田定夫(たけだ ・さだお)、 備後の菅茶山、長子月形弘(つきがた ・ひろし)、佐賀藩儒古賀紫溟(こが・しめい)、安芸の頼杏坪、江戸の菊池五山、伊勢の韓聯玉(かん ・れんぎょく)、それに頼山陽の二文から成る序 ・跋を揃え、更に詩友竹田榛斎とその門弟吉留杏村(よしとめ ・きょうそん)の詩並びに引を附刻した、小冊ながら堂々たる顔ぶれの別集である。巻末に校者として並記された、弘・毅・誠・健の四名は、作者質の四男子で、何れも藩校修猷館の教授をつとめた月形家の四珠樹とも称されるべき存在。又、奥付には「筑前博多麹屋番 萬玉堂次助」と、「江戸日本橋通二町目 山城屋佐兵衛」の名が連記されるが、山城屋は当時江戸の大書肆で、多分此方が主板元か。萬玉堂は当代博多唯一の書肆で、山城屋の補助として地元での売出し、その他を受け持ったものだろう。天保九年(1838)修猷館蔵板の「小学句読集疏」十一冊にも三都並びに仙台の大書肆六肆と並んで奥付に名前を出す。「農家訓」の推移軒を初めとして、これ迄登場した所謂博多板の版元は、何れも書肆というよ りは板刻を受け持った彫師、もしくは板木屋といった職種であったようだが、この萬玉堂のみは一応歴とした書肆と見てよく、他に並ぶものを見出し得ない。当時和学に名をしられた小倉藩士西田直養(にしだ・なおかい)の文集に 「万玉堂額 ふみのはやしわけつくせども文字しらぬはかた最初の変屈のやつ」という一詠が見えるのもそれを証している。当時から出版などを心がけるのは相当の変屈ものであるらしいのがわかるのもおかしい。
 尚、展示の(B)本は、見返しを欠き、序 ・ 跋類は茶山 、杏坪 、山陽 、五山のみで校者名も無い一本であるが、此方が恐らく山城屋が作った初版であり、(A)本は地元の諸名士の序跋を補刻した改訂版であったろう。無論補刻したのは萬玉堂の仕業で、よく見るとその部分のみが地方版独特の版面を見せているようであり、その辺りのいきさつは改訂版の月形弘の識語にもうかがえる。

6(B).山園雑興(外) さんえんざっきょう

所蔵情報(B.山園雑興(外)さんえんざっきょう)
表紙写真(B.山園雑興(外)さんえんざっきょう) 内容写真(B.山園雑興(外)さんえんざっきょう)