9.安政七庚申略暦 あんせいしちこうしんりゃくれき

縦版一舗(42.5×32.0cm) 安政七年(1860)刊 博多川端町 萬屋伊平治(よろずや・いへいじ)板

所蔵情報(安政七庚申略暦あんせいしちこうしんりゃくれき
内容写真(安政七庚申略暦あんせいしちこうしんりゃくれき)

 江戸期の暦法は、古く貞観三年(861)から行なわれた宣明暦をそのまま受けついで八百二十三年を経、貞享元年(1684)に初めて新暦を採用し、その後、宝暦五年(1755)、寛政九年(1797)と改正される事になるが、この寛政暦が西洋暦法を採りいれた最初の改正であり、更に天保十三年(1842)にも改正が加えられて明治の改暦まで行なわれている。
 何といっても社会生活の根本となる事柄ゆえ、その作製頒布は、定められた暦問屋以外は厳しく制禁されていたが、正式の巻物、又は折本型のものから抄録した一枚摺りの略暦、更には、より簡略化して、月の大小のみを示す大小暦の類は、売買を目的としない配り物としての製作は許されていたので、それらは様々な意匠を凝らしたものが各地で多数、考案配布され、特に明和初年(1764)頃から大流行した大小の絵暦は日本における色摺り技術の大発展に寄与して、やがて錦絵とよばれる浮世絵版画を生み出す直接のきっかけとなったことは有名である。本品は博多で作られ配布されたことの確かな安政七年の略暦だが、安政七年は萬延と改元した年でもあり、本品は無論その前年に作られていた為「安政七年」の年号を残している。略暦は明治改暦後は出願特許を受けさえすれば、誰でも板行出来るようになるが、安政の頃はまだ売買はゆるされていないので、本品も配り物として作られたもので、萬屋というのも版元なのか、配り手なのかは判然としない。