漢詩の歴史

―江戸・明治時代―

  江戸時代の漢詩文は藤原惺窩、林羅山によって基礎が築かれましたが、五山文学の伝統を受けて発展させたものとなっています。詩人として名高かったのが石川丈山と僧元政です。 江戸中期になると、盛唐の詩を首唱した木下順庵の門下に新井白石、祇園南海らが現れ、明の李攀龍、王世貞を崇拝し古文辞を首唱した荻生徂徠の門から服部南郭、平野金華らが出て『唐詩選』を流行させ、梁田蛻巌、鳥山芝軒、秋山玉山らも活躍した。古文辞学派の「模擬剽窃」を厳しく非難した山本北山が性霊説を唱えてから、江戸後期には個性豊かな詩が喜ばれ、各地に詩社が生まれて漢詩が一般士民の間に広く浸透し、それを指導する専門詩人が輩出した。江戸では市河寛斎の門に出た柏木如亭、大窪詩仏、菊池五山、関西では頼山陽、篠崎小竹らが有名。その高雅な詩風の菅茶山と海西の詩聖と称された広瀬淡窓と弟旭荘は詩人としてぬきんでている。北山門下の梁川星巌はそのリーダー性を高く評価されたが、その系統にたつ小野湖山、大沼枕山、森春濤らが明治にかけて詩壇に君臨し、それ以後、残念ながら漢詩はしだいに衰退していった。