漢詩の歴史

飛鳥~奈良時代 (このページ)
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―飛鳥~奈良時代―

 漢詩とは、中国の古典詩、およびその形式に沿い日本でつくられた詩のことを指す。 中国の伝統的な韻文文学である漢詩は、リズムの諧調を尊ぶ。詩体は古体(古詩と楽府)と近体(律詩と絶句)に分かれ、一編の句数と一句の語数の制限、各語の平仄の整斉、句尾の押韻の法則が決められ、唐代に完成した。 日本では近江朝に始まり、大友皇子や大津皇子が現れ、宮廷における侍宴応詔詩が中心をなした。また六朝詩の影響を受けて詠物詩が現れ、詩宴では各人に一定の韻字が与えられて作詩する方法も行われたが、『文選』や『玉台新詠集』などに詩句の手本を求めた模倣の詩が少なくない。 養老(717~724)から天平(729~749)のころには長屋王や藤原武智麻呂の邸などに詩人が招かれて詩才を競ったが、藤原宇合、石上乙麻呂らが活躍し、六朝詩だけでなく初唐の王勃や駱賓王の詩の影響がうかがえる。上代の詩の総集である『懐風藻』をひもとくと、五言詩が圧倒的に多く平仄の整っていないものが多くある。