明治以後、石炭鉱業百年の歴史の中では、前半期凡そ50年に及ぶ炭鉱札が流通した期間内では、いろいろと逸話がある。
明治32年香月村の大辻炭坑採炭切符の偽造、同33年田川の小松炭鉱札を偽造する者が出たり、庄内村の某炭坑では鉱夫から炭券を安値で買集め、チャッカリもうけた話や、炭鉱札引換延期による集丸炭坑暴動事件もあった。経営者が代った時、前鉱主発行の斤券を交換拒否したため、鉱夫達が大騒ぎする事は度々である。納屋頭が独占する小ヤマでは所属の納屋指定店しか通用しない納屋切符を発行し、この券で鉱夫を拘束した。
多年にわたって発行された炭券制度も、大正8年5月法で禁止され、同年6月筑豊石炭鉱業組合の総会で「炭券の使用禁止」が決定、それ以後、事実大部分の炭坑で実行され、炭券使用は廃止されたかに見えたが、禁令をくぐってその後もなお発行し使用されていたのが実情であった。
中小炭坑からのちの大炭坑に発展した過程で、経営資金難の打開にどれほど炭鉱札が役割を果したか、換言すればそのため坑夫(鉱員)は賃金が滅殺され自由な消費の手投を奪われ、いかに苦しい生活を送ったか、その実態をもっともっと重視すべきであろう。