くるくる回る青い花本学が所蔵しているウィリアム・モリスコレクションの中から、モリスの私家版印刷工房である ケルムスコット・プレスより出版された刊本の画像データベースです。なお、解説および解題は本学人文学部の藤井哲教授、前田雅晴教授にご執筆、ご協力いただきました。

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モリスの葉っぱマーク ケルムスコット・プレス

(Kelmscott Press 1891~1898)

 ケルムスコット・プレスとは、詩人、小説家、工芸家、古建築保存運動家、社会主義活動家等として19世紀後半に活躍したモリス(William Morris,1834-96)が、「理想の書物」を世に送り出すべく1891年にロンドン西郊ハマスミスに設立した私家版印刷工房である。その工房が出版した刊本の数は、53書目66巻とされている。これは、彼の秘書コッカレルの「ケルムスコット・プレス刊本解題」(『ケルムスコット・プレス設立趣意書』No.53に掲載)による数である。現在でもケルムスコット版を指す際には、このコッカレル番号(1~53)が用いられている。

 モリスがケルムスコット・プレスで実践した原則
 1.鮮明で読みやすい印刷面:字間を詰めた肉太の活字が均等な語間で連なり、行間も可能な限り詰めた黒っぽい印刷面を目指した。特に語間の余白が数行に跨(またが)って同位置に集中して発生する「川」を阻止するためなら、モリスは綴りを変えることも厭わなかった。同様に、改行によらず1字分の行末飾りを挿んで段落を繋ぐ手法も導入している。
 2.芸術家が活字をデザインすべきこと:木版画こそが書物の挿絵に相応しいと信じたモリスは、その力強い線に調和する極太で黒々した印刷面を実現する活字、そして語間を詰めても明瞭度を失わないようデザインされた活字が必要であると考えていた。そこで彼はヴェネツィアのジャンソンが1476年にプリニウスの『博物誌』の印刷に使ったロ-マン字体を手本に、14ポイント活字を完成させ『黄金伝説』(No.7)にちなんでゴ-ルデン活字と呼んだ。また、マインツのシェッファ-が1462年の『聖書』の印刷に用いた字体を参考に18ポイント大のゴシック体活字をデザインして、『トロイ物語集成』(No,8)にちなんでトロイ活字とし、それを12ポイントに落としたチョ-サ-活字も鋳造した。
 3.印刷面周囲に程よく余白を確保すること:モリスは見開き2頁をブック・デザインの基本単位とし、綴じ目側の余白を最小として、上<外<下の順で余白の幅を20%ずつ増加させるべきだと考えた。

 モリスの「理想の書物」へのこだわり
 モリスは、縁飾り59点、欄外装飾108点、挿絵の枠27点、題扉の装飾28点、装飾冒頭語33点、行末飾り4点、プリンタ-ズ・マ-ク3点を木版のために、また装飾頭文字384点を電鋳版のためにデザインした。挿絵には、23点を描いたクレインや12点のギャスキン等を起用するとともに、バ-ン=ジョ-ンズには105点(13書目)の挿絵を描かせた。
 また、モリスは職人的技術と芸術性との統合と中世の美術と工芸への回帰を目指していたから、工房には中世風な手引き印刷機「アルビオン」が導入された。彼は用紙にもこだわりを見せ、ボロ-ニャで1473年頃に用いられた手漉紙を再現したものをバチェラ-商会に特注した。
 このようにして印刷した「理想の書物」は、紙刷り本だけで延べ21,402部であった。その内訳は、自作品が23巻(紙刷り本7,460部)、キャクストン版5書目を含む中世の作品22巻(紙刷り本7,375部) 、近代詩人の詩集13巻(紙刷り本4,017部)、その他が8巻(紙刷り本2,550部)。

 モリスにとっての「理想の書物」
 社会主義者としてのモリスは、芸術を庶民の手に取り戻す使命を意識した。しかし、紙刷り版の平均頒布価格2ポンド半(現在の6万円相当)は工房の職長の週給に相当した。ケルムスコット版の精華たる『チョ-サ-作品集』(No.40)にいたっては紙刷り版でも彼の週給の約8倍、ヴェラム刷り版では約50倍もしたので、モリスの「理想の書物」は庶民には手の届かない代物であった。この点を指摘されたモリスは、「われわれが全員社会主義者だったら…どの街角にも公立図書館があって、最良の最も美しい活字で刷られた名著のすべてを誰でもそこに読みに行けたでしょう」と釈明をしたが、この問題はモリスの業績としてのケルムスコット版の位置付けを難しくしている。
 モリスの「理想の書物」は、現実には簡素でも実用的でもないかもしれないし、「読みやすい」かどうか評価も別れよう。それでもケルムスコット版は、1890年代に英米で私家版印刷への気運を盛り上げたし、両大戦間には印刷業界にタイポグラフィ-への認識を改めさせた。1955年には英国モリス協会が発足してモリス再評価が促された。もし21世紀に生きる我々が、例えば『チョ-サ-作品集』を美しいと感じるならば、本物の芸術作品のみが放射するオ-ラに我々が感応できていることになろう。

参考文献:W・モリス(著) ウィリアム・S・ピ-タ-スン(編) 川端康雄(訳)『理想の書物』晶文社, 1992