3.つはものつくし(外)

(刊) 大本一巻一冊
文化二年(1805)六月序
(大坂)大黒庵【だいこくあん】(奇渕【きえん】)[編]
(筑前)秋圃【しゅうほ】[画]
板元未詳
彩色版

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    1(A).2(B).『葵氏艶譜』に和文序を寄せた 大黒庵(奇渕)の編、同人の序文を添えた彩色版絵俳書。この本を含めて奥付がある本が未詳のため、配り本だった可能性もある。 構成は、序文(一丁分)の後、秋圃画の武者絵(計十一丁)の間に題字・発句(計十丁)がみえ、画題に応じた発句の後に春夏秋冬の句が掲載される。
    序文によると 「寿永より延元の比までの軍ごとをえらぶとなくて書きいだせる しらぬ火のつくしの国なる秋圃が筆の鉾さきするどきを見て  おもふに武に文を兼るを良将ときけば 此かたにも讃のことばなくてやはと いさゝかかいあつめたるを」とあることから、本書の成立過程は、 秋圃が描いた武者絵が先に存在し、後にその讃句を集めたか。また、秋圃は本書序と同年の七月、秋月藩に御組外絵師を仰せ付けられた (『秋府諸士系譜』他)。その事も考慮に入れると、序文では一ケ月早い六月の時点で「つくしの国の秋圃」と記されていることから、 正式な仕官は文化二年七月であるが、1(A).『葵氏艶譜』初版成立以降、本書成立以前すなわち 文化元年から翌二年六月までの間に当時の秋月藩主・長舒公の目にとまり、筑紫へ下向し「秋圃」と画号を変えていたことが推察できる。 従って本書巻頭の口絵(児島高徳)と巻末画(楠)の二箇所に落款「秋圃「秋」「圃」(朱陽刻連印)」がみられるのは初期の秋圃号使用例といえよう。
    武者絵は、児島高徳(口絵)、忠度、舟弁慶、安宅、草摺引、河津角力、股野、富士牧狩、三浦、義貞、 楠、合計十一の画題。1(A).2(B).『葵氏艶譜』と同様、 略画風の限られた線を使った筆法だが、伸びやかで躍動感のある武者絵に仕上がっている。 児島高徳(口絵)が寄りかかる桜花や、 楠公の旗の上部は、あたかも天井を突き破るように匡郭を突き抜けており、画面全体に遠近感や勢いをもたらしている。 これは天明・寛政期の江戸の版本に見られる手法であり、そこから学んだのでもあろう。
    秋圃が作画の手本とした作品として、より直接的な痕跡がみられるのは、 鍬形恵斎の、24.『略画式』(寛政七年初版)26.『人物略画式』(寛政七年初版)あたりか。従来挙げた草摺引(24.『略画式』)、 舟弁慶、富士牧狩、楠(26.『人物略画式』)といった四図 (中野三敏「あるお抱え絵師の生涯」 《←クリック所蔵情報/別ウィンドウ》) に加えて二図、股野(24.『略画式』九丁裏・下左図)、義貞(同書九丁裏・下右図)が追加出来よう。 『つはものつくし』合計十一図のうち、半数強の計六図を恵斎画の絵本を手本としたことになる。源平合戦のどの場面を描くのか、 画題や登場人物だけでなく、構図や略画的な筆致まで学習し尽くしたと言っても過言ではなかろう(恵斎と秋圃図柄・筆法の模倣を参照)。