
24(A).畧畫式【りゃくがしき】
24(B).[畧画式【りゃくがしき】]
24(C).[畧画式【りゃくがしき】]
恵斎画一連の略画式モノの最初とされる本。
12.『諸職画鏡』と同版元、彫師によって刊行されており、
26.『人物略画』、27.『山水畧画式』、28.『魚貝譜』も
この顔ぶれ。本書は、神田庵主人の序「(前略)花をめでぬるは野枝こそよけれ、工【たく】まずつくらず天然の風味あり。此画も亦しかり。
形によらず精神を写す。形をたくまず略せるを以て略画式と題す」と記し、外見の形ではなく精神を写す画の真髄に迫ったのがこの「略画式」である、
という本書題名の由来が記され、次の見開き一丁の上欄には、下部には罫線上に描かれた裸の人体図が描かれる。この図は、
ライレッセ編『大画法論』(“Het groot schilderboek”、1707年出版)を参考にした万象亭こと森島中良『紅毛雑話』
(天明七年(1787)序 須原屋市兵衛板)所載の「人体美術解剖図」に端を発するとされる。即ち、西洋画法の極めて素早い摂取例として
特記されるべきもの。中良は、蘭学の啓蒙書も書いたが、戯作者や狂歌師としても活躍し、万象(亭)の名で
11.『繪本吾嬬鏡』の編を行い、序文を21.『八幡太郎一代記』、
22.『絵本大江山』にも寄せており、恵斎と直接交流があった事は間違いない。
続く本図は、人体図をうけてか相撲図等・下帯姿の人物図(三丁半)、人物風俗図(平安風俗から当代職人や
生活風景まで、十六丁半)、草花(三丁)、樹木に小禽(一丁)、江戸名所他風景(二丁)、魚・虫(一丁)、人物生活風景(巻初より草画、二丁)、
達磨・七福神他(半丁)と、画題は多岐にわたっている。半丁の狭い画面に四図以上の画題や人物がみえるが、個々の図が侵害することなく
伸びやかに展開しているために狩野博幸氏は「本書の各部が分化して後述の幾つかの略画シリーズが生まれた。」(『MUSEUM』No.338)と
位置付ける。
(B)本は、題箋が欠落した状態で、巻末(A)本にはあった蔵本目録(半丁)が無く、摺りの状態から、
(A)本より後印か。(C)本はさらに後、初版より二年後の寛政九年の奥付を持つが全丁改刻されており、初版発売後すぐに高い人気を得て
初版が痛んだので改刻されたことが窺えよう。(C)本の奥付は25.『鳥獣略画式』(A)本と同じである。
寛政七年(A、B)、寛政九年(C)版の他に、寛政十一年(1799)版、文化十一年(1814)版が確認されている(『国書総目録』)。
なお3.『つはものつくし』で触れたが、この『略画式』と
26.『人物略画式』から直接、秋圃は図柄を含めた筆法を学び取ったか。(「恵斎と秋圃図柄 ・筆法の模倣」参照)
因みに喜多村信節は、「略画式を恵斎が著して後、(北斎が)北斎漫画をかき」(『武江年表補正略』)と記し、
北斎の有名な『北斎漫画』も本書に触発されて作られたものであるという。